PREコラム
戦略的な地域活性化の取り組み(1)地域開発戦略としての観光施策
公開日:2018/05/31
地域活性化には中長期的なマーケティング戦略が必要
地域を活性化するためには、中長期に亘っての地域開発戦略が必要なことはよく言われることです。そして、その手法は一般的にビジネスで用いられるマーケティング戦略と同じです。まず、地域の魅力を訴求する相手は組織なのか個人なのか、地域内なのか地域外なのか、または国内なのか国外なのかといった市場を明確にします。次に、活用できる地域資源は何か、有形物か無形物か、産業資源なのか観光資源なのか、消費財か生産財かといった地域商材を分析し、他者と差別化可能な地域商品として組み立てます。更に、地域開発によって期待できる波及効果を割り出し、地域開発の規模を定めます。最後に、市場に対して地域商品を訴求するプロモーション施策を策定し実施します。また、地域開発は中長期戦略となりますので、年単位での達成目標を設定し、いわゆるPDCAによって効果測定を実施しながら計画の修正や見直すことで、持続可能な地域開発を継続し、地域の活性化を目指します。
こう書くとあたりまえのことばかりですが、実際のところゼロからの地域開発は、つくば市の学園都市構想、横浜市のみなとみらい都市構想、富山市のコンパクトシティ構想などを見ても分かる通り、その成否の見極めには数十年の歳月を要しますし、様々な時代の変化や開発に対する批判などを乗り越え、計画の修正を繰り返しながら推進していくものです。新規ビジネスのインキュベーションと同様に、生みの苦しみは想像に難くありません。
観光地では、いかに滞在してもらうか
そこで一般的には、地域に現在ある観光資源や産品などを再発掘、再開発して、他地域との差別化を図ることで地域を活性化する手法がとられることが多くなります。例えば、歴史的建造物や庭園などのライトアップ、伝統的なお祭りの組織的大規模化、地域名産品のブランド化、地域観光地ツアーの開発などが挙げられます。
特に観光地においては、地域に対する経済的効果を最大化するために、滞在型による観光を目指し、宿初施設の充実化を図る傾向にあります。
戦略としての「泊食分離」
日本における旅館は、古くからある旅籠に由来します。旅籠とは、馬を休息させる設備を備えた宿泊施設でしたが、人々の移動が増加していった江戸時代後期には、旅人に食事を合わせて提供する形式になったと言われています。「一泊二食付〇○円」というパッケージ料金は、その頃に始まったようです。また、多人数でも泊まれるような大部屋形態で、部屋食を基本とするのも、その当時から引き継がれている様式でしょう。しかし現在の生活様式では、西洋式のいわゆるホテルの個室形態/食事別といった様式が好まれ、旅館の経営が難しくなっています。その解決策として提唱されているのが「泊食分離」の考え方です。
「泊食分離」で収益拡大
この「泊食分離」には、二つの意味があります。
一つは、「一泊二食付」のパッケージ料金をドンブリで管理するのではなく、宿泊と食事のコストを正確に分離、把握して、それぞれの収益性を確保する価格の設定を行い、生産性を向上させるという経営管理手法です。そしてもう一つは、泊食のパッケージ料金を止めて、食事と宿泊を分離した価格設定を行い、商品を分離するという意味です。
そもそも「泊食分離」は、前者を推進する考え方であったと思われますが、派生的に後者の経営形態を生み、これが地域の活性化に大きく貢献していると考えられます。
例えば、とある旅館では「泊食分離」を進める過程で、宿泊客以外の会食需要の開発に至り、現在では食事を中心とした経営に転換、さらに大部屋を会食場所として提供することで施設稼働率を向上させ、収益率を大きく改善させています。このことは結果的に、地域外に流出していた顧客のみならず、地域外の顧客を地域内に呼び込む効果が生んでいます。
また、ある温泉旅館では、宿泊施設を和風ホテルのように改築し、施設内外に地域の産品を使った和洋食レストランを複数展開、宿泊客に地域内の回遊を誘導する経営に転換しています。そうすることで、来客に地域内の多様な魅力を発見してもらい、地域へのリピーターを増やす効果を狙っています。
温泉観光地の外湯めぐりは地域活性化への先人の戦略
兵庫県の城崎温泉は、およそ1300年の歴史を誇り、多くの文人墨客が訪れたことでも有名な温泉観光地です。城崎温泉の特徴は、大小7つの「外湯めぐり」。大谿(おおたに)川沿いの柳並木に沿って、観光客が浴衣姿で外湯をめぐって闊歩するノスタルジックな風情は、ここでしか味わえないでしょう。しかし、その城崎温泉の「外湯めぐり」にも危機の時代がありました。昭和初期に三木屋旅館が敷地内の泉源を利用して城崎初の内湯を新築の旅館内に設置したところ、温泉地の伝統を壊すものとして訴訟事件が勃発しました。この争いは20年以上も続きましたが、最終的には和解し、旅館内の内湯を認める代わりに内湯の規模を制限するとともに、泉源を行政が一括管理、温泉の配湯設備を整備しました。この和解が無ければ、きっと地域内競合を招き、中小規模な旅館は生き残れなかったかも知れません。そうなれば、今の城崎の風情は大きく変わっていたことでしょう。この和解は、旅館の利権を認めつつ地域の利益を守る、先人の戦略(知恵)だったのではないでしょうか。
地域の活性化には、地域開発戦略が求められますが、ともすれば地域と個人、個人間の利権の調整が困難な場合があります。そんな時に、歴史的な先人の知恵を紐解くことも大切なことです。