パイプハウスから始まった研究所の歴史。
いつの時代も社会の課題解決や
新しい生活提案を使命として、
少し先の未来を世に送り出してきた
研究所の
これまでの取り組みを
テーマごとに紹介いたします。
自然災害の発生要因は、
現代科学でも未解明な部分が残されています。
研究所では人と暮らしを守るために、知恵と技術を結集して災害に立ち向かっています。
研究所の取り組み
1959年
パイプハウス
ジェーン台風をきっかけに開発された、仮設建築「パイプハウス」。
強風でも折れなかった「稲」や「竹」から着想を得て開発された、大和ハウス工業初の創業商品です。
丸くて中が空洞の鉄パイプは頑丈で軽く、それを構造に採用したパイプハウスは短時間で建ち、しかも安価だったため、「応急仮設住宅にもふさわしい」として、伊勢湾台風発生時に大量の注文が殺到しました。
災害発生当時は通常業務をストップし、救助活動とともに一日でも早い「パイプハウス」の建設に力を尽くしました。
パイプハウス
1962年
ダイワロッジ
生産効率やコストも意識した
プレハブ建築が求められるように。
多くの建設現場からのニーズを受け、大和ハウス工業は「パイプハウス」よりも安く簡単に組み立てられる「ダイワロッジ」を開発。
建て上げや内装に要する現場での加工がほぼ不要になり、建設にかかるスピードがさらに向上しました。
「ダイワロッジ」は、その見た目のスマートさだけでなく居住性も向上したことから、当時の人気商品となりました。
ダイワロッジ
災害時のノウハウをもとにその後も改良を重ねたダイワロッジは、人と建物を守るための統一規格の応急仮設住宅へと繋がっています。
研究所の取り組み
1981年
ダイワハウスG型 ルグラン チムニーのある家
1970年代後半から、住宅に対する人々のニーズが少しずつ変わりはじめ、それまでの「住めればよい」という価値観から、より資産価値が高く、本格的な住宅が求められるようになりました。
また、建築基準法の耐震基準の改正に伴い、当社独自の鉄骨軸組パネル併用構造が開発され、G型システムが誕生しました。その後、2010年代まで、当社の主要構造システムとして進化を続けました。
新旧耐震基準の違い
ダイワハウスG型
研究所の取り組み
1995年〜1996年
地震発生後、研究員たちは被災者の住宅を訪問し、被害状況を調査しました。そこで気づいたのは、「住まいの耐震性能が高いだけではお住いの方の安全・安心は守れない」という事実でした。
震災から数年後にまとめられた報告書によると、震災による死者の8割は、家屋の倒壊や家具などの転倒による圧迫が原因でした。また、震災による負傷者は、約43,800人にのぼり、その多くは家具などの転倒、家屋の倒壊、落下物などによるものでした。
研究員たちは、被災現場調査で家具転倒によるけがや逃げ遅れの危険性を肌で感じ、安全・安心な暮らしを守る免震技術の研究に取りかかりました。
「耐震」と「免震」の違い
1998年
ビルなどの高層建築向けの免震技術は使えない!?
阪神・淡路大震災当時、ビルでは「積層ゴム」を使った免震技術がすでに実用化されていました。
しかしながら、この技術は重さが十分にある建物に対してのみ効果があったため、そのまま戸建住宅には転用することができませんでした。
住宅向けの免震技術の研究開発は、別の方向性を模索するところから始まりました。
1999年〜
免震システム
最初に研究所が開発したのは、揺れを逃がすために建物を転がす「単球式転がり支承」という技術でした。
これは、直径60㎜ほどの鋼鉄製の球が、基礎と建物の間の上下鋼板皿で転がることにより、建物を支持しながら地震の揺れを受け流すという仕組みです。
また、耐震と免震の2つの技術を、震度にあわせて効果的に発揮できるよう、「風揺れ固定装置(※1)」と「パンタグラフ式減衰装置(※2)」の2つの装置も導入。
震度4までは耐震構造として地震力を受け止め、震度5弱以上では各免震装置が性能を発揮し、揺れを受け流す仕組みを開発しました。
災害時に電力に頼らず機能する点も、この免震システムの大きな特長です。
風揺れ固定装置は、強風時にはしっかりと固定され、震度4以上の揺れを感知すると自動で免震状態に切り替えます。
パンタグラフ式減衰装置は、パンタグラフ伸縮時の関節部摩擦により、360°あらゆる水平方向の地震エネルギーを吸収します。
この免震システムを導入すると、巨大地震での揺れは1/8以下まで低減することが可能に。
2001年には商品化し、プレハブ住宅メーカーとしては業界初の免震システムを発売することとなりました。
研究所の取り組み
2006年
免震システムは、家具転倒を軽減する安全・安心な技術として高い評価を受けましたが、設置要件(地盤、建物周囲距離など)や価格が問題でした。
そのため、その次の研究開発として、地震エネルギーを吸収して建物の揺れそのものを少なくする「制震」技術に、いち早く取り組みました。この制震技術の開発により、免震よりも設置要件に制約を受けず、⼿軽な価格で地震による建物の揺れを抑える住宅を実現させました。
制震技術とは
粘弾性体の制震デバイスを持つ制震パネルを組み込むことで、建物に加わる地震エネルギーの一部を熱エネルギーに変換して吸収し、建物の負担を軽減できる技術
2006年6月
E-ディフェンスによる加震実験
独立行政法人防災科学技術研究所が建設した世界最大の実大三次元震動破壊実験施設、通称「E-ディフェンス」において、民間企業初となる大規模な加震実験を実施。
巨大地震(震度6強~7、阪神・淡路大震災時の記録波およびその加速度の2倍レベルも含む)18回、大地震33回、中地震34回、計85回の加震実験を行い、大きな損傷は生じないという結果を得ました。
こうして、耐震・免震・制震の3つが揃った地震対策システム。
これらを「DAEQT(ディークト)」と総称し、大和ハウス工業の地震対策技術として展開しました。
震災後の繰り返される余震に悩む被災者たち。継続困難な商店街や商業施設。東日本大震災では、人命を守る以外に、さまざまな視点から技術開発を行う必要性が見えてきました。
発生直後、大和ハウスグループはすぐに復興支援チームを結成し、被災地での仮設住宅の建設に取り掛かりました。
すきま風防止や凍結予防など、寒さ対策を万全に行った仮設住宅約1万1000戸を、岩手・宮城・福島に建設し、一刻でも早く日常の生活を取り戻せるよう支援しました。
この時代のトピックス
研究所の取り組み
2011年
東日本大震災では、発生後1年間でマグニチュード5以上の余震は757回、うちマグニチュード7以上は6回も起こりました。多くの被災者は余震による不安を感じ、被災後に同じ場所で暮らし続けられないというケースも多くありました。また、連続的な余震では、住宅の耐震性能が低下する「ゆれ疲れ」と呼ばれる現象の可能性がありました。
研究所では、「地震に備える」というこれまでの考え方に加え、新築時の耐震性能を維持して「安心して暮らし続ける」という考え方をベースに、新たな技術研究を開始します。
そうして誕生したのが、持続型耐震技術「D-NΣQST(ディーネクスト)」です。
2011年
「D-NΣQST」は、片筋交い形状の持続型耐震構造の耐力壁です。
地震発生時に「Σ」の形をしたデバイスがしなやかに動くことで地震のエネルギーを効果的に吸収し、繰り返しの地震動に対しても、初期の耐震性能を維持します。
また、お客さまの多様化する住宅へのニーズに応えるため、より自由度が高く、開放感のある空間提案が必要と考え、構造躯体の強度アップも図りました。
開発中は、H形やZ形、縦形、横形などさまざまな形状のデバイスを何度も試作し実験を繰り返しましたが、エネルギーを最も効果的に吸収してくれるのが、この「Σ」の形をしたデバイスでした。
D-NΣQST(ディーネクスト)
2013年〜2014年
xevoΣ
2013年9月、再び「E-ディフェンス」で、戸建住宅1棟を使った大規模な震動実験を行いました。
観測史上最大速度であるJR鷹取波(阪神・淡路大震災)の増幅波を加え、「震度7かつ175kine」×4回+「6強×2回」の連続地震波で実験。建物の損傷も少なく耐震性能が維持されるということが証明されました。
2014年、D-NΣQSTを採用した鉄骨系戸建住宅商品「xevoΣ」が誕生しました。
建物と健康は、切っても切りはなせない存在です。
健康を維持するだけでなく、より快適な暮らしが送れるよう、新しい取り組みにも日々挑戦し続けています。
高機能な住宅商品の開発が進む中、新築の住宅で目や喉が痛む、めまいがおきるなど、いわゆる「シックハウス症候群」を訴える人々が世の中で増えてきました。
原因は、建材や家具などから放散されるホルムアルデヒドやVOC(揮発性有機化合物)などの有害物質です。隙間が多かった以前の住宅とは違い、省エネのため高気密となった近年の住宅では、有害物質が室外に逃げにくく、このような状況を引き起こしました。
のちに法律改正されるほど社会問題となったこの問題に対して、省エネ性能を保ちつつ、どう対策するべきかが研究所としての使命となりました。
この時代のトピックス
研究所の取り組み
1996年〜
化学物質濃度測定の様⼦
重要となるのは「換気」による室外への有害物質(VOC)の排出と、化学物質放出を抑制した「建材」の利用という2つのアプローチです。
まず既存物件の調査により、化学物質の濃度の実態を把握しました。その上で「換気」については、シミュレーションや実験を繰り返し、気候風土や季節ごとに異なる空気の流れも配慮した「換気システム」の仕様を考案。「建材」は、住宅を構成するさまざまな建材についてサプライヤーさまと協力して化学物質濃度を一定基準以下に抑えました。
実は難しい換気
一口に「換気」といっても、例えば夏と冬で家の中の空気の流れは変わり、季節によって換気量が多すぎる部屋、不足する部屋が生じます。そこで研究所では自然の力と機械をうまく組み合わせて、一年を通じて各部屋がきちんと換気されるよう開発を行いました。
1998年
24時間換気システムの概念図
建材に関しては、1998年に「健康住宅仕様」として全戸建住宅・集合住宅商品にホルムアルデヒド対策を施しました。
2003年には建築基準法が改正され、24時間換気システムの設置義務化や、使用可能な建材の基準値が制定されていきます。大和ハウス工業は、それより5年も前の時点で、世の中の流れに先んじて対策を施しています。
その後もさまざまな建材について常に仕様の選定が行われ、換気システムも空気を入れ替えるだけでなく、空気をキレイにする技術として進化を続けています。
24時間換気システム
生活習慣病、メタボリックシンドロームなど、1990年代〜2000年代にかけて、健康に関するさまざまな問題が世間の注目を浴びました。
日常生活における人々の健康意識が高まる中、研究所では、これまでの健康を“阻害”する要因を排除する技術から、より健康で豊かな暮らしを“促進”する技術開発を目指すようになりました。
この時代のトピックス
研究所の取り組み
2005年
換気浄化efの概念図
2005年になると、シックハウス症候群だけにとどまらず、花粉、ハウスダストや臭気、PM2.5なども社会問題となってきました。
そこで、大和ハウス工業は、室内で発生した汚染物質も含め、部屋の空気をキレイにする技術を開発します。それが、「換気浄化ef(イーエフ)」です。
「換気浄化ef」は、アレルギーの原因となる粉塵などの汚染物質を吸着し、キレイな空気を生成する天井埋込形の空気清浄機です。
換気浄化ef
2005年
インテリジェンストイレ
「インテリジェンストイレ」は、尿糖値・血圧・体脂肪・体重の4つを測定できる画期的なトイレです。使用することで健康チェックの習慣付けを働きかけ、生活習慣の改善によって、健康維持・健康管理をサポートします。
「時代の変化に、どう対応するか」。生活者の健康への意識・要求の高まりに応えるにはどうすべきかを考え、日常的な健康チェックの重要性にいち早く着目しました。
この商品は、大和ハウス工業が取り組んでいたホームネットワーク技術(ソフト)と、TOTOさまの持つ健康チェック技術(ハード)の融合により実現した、業界初のITトイレです。
インテリジェンストイレ
2008年には、従来の機能に加え、尿温度(深部体温)測定機能を追加しました。女性特有のホルモンバランスを知ることができ、女性の月経の時期や排卵日を予測することができます。
2005年
外張り断熱通気外壁
冬場、高齢者が入浴中に事故死する主な原因は、入浴前後の急激な寒暖差によるショック(ヒートショック)と言われています。
これを予防するためには、入浴前後でも一定の温度を保てるような住まいを作る必要があります。
そこで、大和ハウス工業は、壁全体を断熱材で包む技術「外張り断熱通気外壁」を開発しました。これにより、部屋間の温度差を小さくするだけでなく、冷暖房費の削減も可能となりました。また、温度だけでなく湿気にも配慮して壁の中でのカビや結露を防ぎ、人の健康、建物の健康それぞれに対する性能を高めました。
外張り断熱通気外壁
熱伝導率の高い鉄骨部分が外気温を屋内に伝え、断熱性能を低下させる現象
2006年
地域に貢献する産学連携の一環として、奈良県立医科大学に寄附講座「住居医学講座」を開設しました。この講座で、「住居と医学(健康)」に関する包括的な研究を目的として、シックハウス症候群対策、アレルギー疾患対策としてのダニ・カビ対策、アスベスト対策などの個々の疾患対策に加えて、「住居」を切り口にした健康寿命を延ばし、QOLを高める先進的で包括的な研究に取り組みました。
住居環境を医学の視点で検証・提案した研究の代表的な成果として、室温と早朝高血圧の関係を明らかにし、省エネ性と健康快適性を両立した省エネ空調システム「エアスイート」の開発へと繋がりました。
室温と早朝高血圧の関係について
奈良県立医科大学と共同で、就寝前から起床後における血圧の変化を調査した結果、血圧は就寝前と起床後に高くなりますが、部屋の温度が低いほど血圧はより高くなることがわかりました。
スマートフォンが普及し、あらゆるモノが人の手を介さずにインターネットでつながるIoT(Internet of Things)の時代に。
冷蔵庫やエアコンなどの家電製品や自動車など、ありとあらゆるものがインターネットでつながり、暮らしはますます便利になりました。
そして、IoTの技術を搭載した機器を取り入れた「IoT住宅」が登場し、暮らす人の行動様式や健康状態などもセンシングできる時代になりました。
この時代のトピックス
研究所の取り組み
2010年
家の中の温度や省エネ性は、壁などの断熱だけでなく暖房や冷房の仕組み・使い方によっても変わります。冷暖房は家庭内の消費エネルギーの中で大きなウエイトを占めていますが、省エネだけを追求すると、一番大事な健康で快適な暮らしが損なわれてしまい、冬期の血圧上昇や夏期室内における熱中症など、深刻な健康障害につながる恐れがあります。
そこで、2010年に生活スケジュールにあわせて各部屋のエアコンを一括でコントロールするシステム「エアスイート」を開発し、2013年にはIoT技術を活用したHEMS(Home Energy Management System)にもこの機能を搭載し、「省エネ」と「健康・快適」の両立を実現しました。
以降もさまざまなニーズに合わせて断熱や空調技術の開発を進めています。
エアスイート
エアスイートのスケジュール設定(ライフスタイルに合わせてお好みのスケジュールで運転)
2019年
IoTスマートホーム
2019年9月、神奈川県が公募した「最先端ロボットプロジェクト」において、大和ハウス工業の「人と建物の健康をサポートするIoTスマートホーム実証」が採択されました。
NTTドコモさまと共業し、大きく2つの検証を実施。一つはモデルハウス検証で、既存のIoT機器を組み合わせて実現するサービスの需要度を検証。もう一つはモニター家庭検証で、サービスの一部を住まい手に利用してもらい、技術的な課題や使い勝手の評価を受けました。
この実証をもとに、多様なIoT機器や住宅設備機器を一元的に管理できるクラウドサーバーと設備用コントローラーを開発し、「人の健康、建物の健康、人のつながり」をコンセプトとする新たなIoTスマートホームの実用化を目指しました。
最先端ロボットプロジェクトについて
「さがみロボット産業特区」の取り組みを中心に、生活支援ロボットの実用化や普及・活用を推進し、神奈川県民の課題解決に資する生活支援ロボットを実用化するため、最先端のプロジェクトを支援するもの。
一定の規格で安定した品質を提供する「建築の工業化」は、大和ハウス工業の創業理念でもあります。
創業以来、工業化建築の新しい可能性に繋がる技術開発によって、建築業界全体の新しい市場を広げてきました。
戦後の日本は高度経済成長期に入り、多くの企業が全国に事業を拡大していきました。官民挙げての建設ラッシュの中、建築業界では、大量生産・スピード施工が実現できる建築が注目されはじめます。
一方、人々の生活においては、都市への人口集中や住宅事情が社会問題に。ベビーブームで校舎や子ども部屋が不足し、居場所がない子どもたちの暮らしをどう支えるかが課題となってきました。
急速に発展する社会に貢献するべく、「建築の工業化」を理念に、1955年4月5日、石橋信夫は大和ハウス工業を創業しました。
この時代のトピックス
研究所の取り組み
1955年
パイプハウスの部品
創業と同時に世に送り出した「パイプハウス」は、木材の代わりに“鉄パイプ”(鋼管)を使用した仮設建物です。
骨組み・屋根・壁・床・建具などを部品化・工場生産し、現場で接合し組み立てる、工業化建築を実現しました。
同じ仕様、安定した品質で、速く安く簡単に建てられるパイプハウスは、官公庁を中心に、倉庫・事務所・宿舎・車庫などの用途に幅広く利用されました。
パイプハウス
1956年〜1957年
初めての本格的鋼管建築
人気商品だったパイプハウスですが、パイプ(鋼管)を使った建物は、法律上では「建築物」としては認められておらず、あくまで「仮設建築」という位置づけのままでした。
しかし1956年に新たな規格が制定され、パイプも建築材料として認められるようになります。これを機に、パイプハウスで培った「鋼管建築技術」を、一般建築物にも活用できるよう、先駆けて研究開発に取り組んでいきました。
1957年には、兵庫県にある酒造会社から、建築面積219坪という大規模建築を請け負い、本格的な鋼管構造建築に着手しました。
当時、鋼管構造に関する構造計算基準がなかったため、日本軽量鉄骨建築
協会の審査を受け、法律上の条件もクリアし、建設大臣認定を取得。日本初の鋼管構造建築が誕生しました。
大型鋼管構造建築
1959年
ミゼットハウス
ベビーブームの影響で、家が手狭になり、「帰っても居場所がない」という子どもたちの声をヒントにプレハブ住宅「ミゼットハウス」が誕生しました。1人の研究開発者が、1か月という短期間で構想から設計図書作成までの開発を行いました。
当時の建築の常識では考えられない3時間という速さで建てられることと、11万円程度に抑えた価格設定で爆発的にヒット。百貨店で展示販売も行い、人気商品となりました。
その後、トイレや台所が欲しいといった要望に応えた、新婚世帯向けの「スーパーミゼットハウス」など派生商品も開発され、プレハブ住宅は本格的に発展していきます。
ミゼットハウス
この成功は、住宅一邸ごとに注文を受けて施行するこれまでの「請負方式」以外に、「商品」として建築を提供するスタイルが消費者に受け入れられることを証明しました。
これを機に、異業種の企業もプレハブ建築に続々と参入。プレハブ建築のための建築部材を提供するメーカーも次々に生まれ、今日のプレハブ住宅産業を創出することとなりました。
1960年代も高度経済成長が続きます。当時の内閣による「所得倍増計画」などにより、GDP成長が年率10%を超える時代となりました。
この頃には、より賃金の高い仕事を求めて都市部へと移動する人々が増え、住宅や病院・スーパーマーケットなど、暮らしに関わる施設が急激に増加していきました。
逆に、農村では人口が減少し、働き手がいなくなる状況に。農業の機械化が注目されはじめました。
都市部と農村それぞれの暮らしの変化が見られる中、新たなニーズや社会問題も生まれてきます。
この時代のトピックス
研究所の取り組み
1962年
ダイワハウスA型
都市部での住宅不足解決の担い手として、大和ハウス工業は、本格的なプレハブ住宅の開発に取り組みはじめました。
そして誕生したのが「パネル式プレハブ住宅」です。キッチン、トイレ、風呂など水回り全てをプレハブ化(工場で作って、現場で組み立て)し、価格を従来工法の中級住宅並に抑えた新しい住宅です。
まだ省エネという言葉が無い時代に、「断熱・遮音」にも注力して開発した、当時としては画期的な住宅でした。
また、全国各地に展示場を設置し、実物の良さを体感してもらうことで、「プレハブ=仮設建築」のイメージを払拭することにも成功しました。
ダイワハウスA型
1963年
交通安全陸橋
都市部での人口増加は、急速なモータリゼーションも生み出し、子どもを巻き込んだ交通事故が急増していきました。
そんな状況を受けて、「横断歩道を橋にすればいいのでは?」と、人とクルマの立体交差を考案します。こうして、全国初の鋼管併用の「交通安全陸橋」が大阪駅前に設置されました。これを皮切りに、全国へと展開していきます。
大阪駅前交通安全陸橋
1968年
エンターローリー
人手不足となった農村では、農業の機械化・効率化が進んでいました。そんな中、日本でもパン食が増えた影響で、コメの受給バランスが崩れ、過剰米が問題となっていました。
なんとかコメの長期保存を技術で解決できないか?と、研究開発チームを立ち上げます。米穀保存のためには倉庫内を15℃以下に保つのが従来の常識でしたが、窓がなく、換気もしない倉庫内を18℃の準低温に保ち、除湿すれば、高品質のままコメが保存できることを発見します。
実験を繰り返し、コメの長期保存用プレハブ倉庫「エンターローリー」を商品化。農業の困りごとを解決し、米穀倉庫市場を席捲しました。
1965年
ダイワシェル(プレハブシェル)
急激な人口増加に伴い、病院や体育館、スーパーマーケット、ターミナルなど、工場や倉庫以外の大型建築物の依頼が相次ぐようになりました。
大型建築で重要なのは、「柱」をできるだけ少なくし、より広い空間を作り上げることです。そのため、柱の代わりとなる「パイプシェル構造(短いパイプを網の目のようにつないで曲面を作る構造)」を使って天井部分を設計する建物が多く見られるようになりました。しかしこの技術は、熟練の職人でしか施工することができない難しい技術で、施工時間も手間も膨大にかかるものでした。
そこで大和ハウス工業は、工場であらかじめ梯子型のものを作り、現場で最小限の組み立てだけ行う技法「ダイワシェル(プレハブシェル)」を開発します。このおかげで、熟練職人がいなくてもシェル構造の天井を作り上げることが可能になりました。
施工のスピード化とコスト削減を同時に叶えたこの技法は特許を取得し、全国の施設へ導入していきます。
ダイワシェル(プレハブシェル)
1970年代になると、暮らしに対する人々の意識が変わってきます。
住宅は、「住めればよい」から、「住みやすく、見た目も良い、本格的な住宅」へ。自家用車の所有率も増え、レジャーによる外出や、外食の需要も増えてきました。
大和ハウス工業でも、リゾート事業や流通店舗事業などに着手し、「プレハブ住宅メーカー」から、「総合生活産業」を手掛ける企業へと大きく変化していきます。
この年代のトピックス
研究所の取り組み
1972年
モジュラーショップ
モータリゼーションの進展で、人々の生活の幅は大きく変化しました。外出が増えたことで、特に郊外では幹線道路沿いなどに外食産業など各業態の商業店舗(いわゆるロードサイド店舗)が次々と出店するようになりました。
大和ハウス工業は、チェーン店ごとに規格化したシステム建築を開発し、各企業のスピーディーな出店を支えました。
また、遊休土地の可能性を見据え、土地オーナーと、店舗出店を希望するテナント企業をマッチングする「LOCシステム」を展開し、新たな市場を生み出しました。
モジュラーショップ
システム建築
1980年
中央試験所 環境試験室
1973年、現在の研究所の前身となる「中央試験所」が奈良工場内に発足しました。室内に丸ごと一棟の家を建て、さまざまな気象条件を与えてその影響を調べる設備は、雪を降らせることもでき、業界初の試みでした。
1980年、中央試験所と研究開発部を統合した「総合技術研究所」が発足し、建物の強度アップを図る独自の構造システムや、軽量化、耐火性能などを追求した外壁パネルなど、新しい工法・技術を次々と開発。規格建築の品質向上と大型化を図りました。
1980年代後半には、労働力の質と量の確保が難しくなり、安定した品質を確保しつつ省力化・工期短縮を図る工法の開発が求められ、その一つとして、無溶接構法の開発に取り組みました。
DSQフレーム
グラミュールパネル
2000年に入ると、技術の進化がさらに進み、生活はより便利になりましたが、社会が抱える問題が多様化し、建物に求められるニーズは多岐にわたります。
例えば、インターネットが普及し、各家庭でもネットショッピングが手軽にできるようになったことで、グローバル規模での物流需要が高まり、社会構造が大きく変化しました。
一方、地球環境問題によって、環境に配慮した取り組みや循環型社会への変換が進められ、また、高齢世帯の急激な増加によって、高齢者が安心して生活できる居住環境の整備も進められました。
この年代のトピックス
研究所の取り組み
2005年
リ・ストア&リ・ビルドシステム
2000年代に入り、高度経済成長期の大量生産・大量消費から、環境に配慮した循環型社会へと移り変わっていきます。そうした背景の中、大和ハウス工業は、店舗移転や用途変更等で不要となった建物を解体廃棄せず、新たな土地への移設を可能とする環境対応型店舗「リ・ストア&リ・ビルドシステム」を開発しました。
建物の躯体を全て工場生産し、乾式接合を用いることで、基礎を含めた分解を行えるようにしました。基礎はRCフーチングと鋼製梁を組み合せた構造で、フーチングには分割できるように目地を設け、鋼製梁とはボルトで接合しました。分解後は補修して、「リ・ストア(再生)」と「リ・ビルド(再建築)」を可能としました。
リ・ストア&リ・ビルドシステム
2014年
DUAL CORE BRACE
2013年にフジタが大和ハウスグループ入りし、両社の共同開発(シナジープロジェクト)がスタート。その第一弾としてリリースしたのが、鋼製座屈拘束ブレース 「DUAL CORE BRACE」。
当時需要が高まっていた、サービス付き高齢者住宅などの低~中高層建物に採用され、通常のブレース構造に比べ、耐震性を大幅にアップさせました。
DUAL CORE BRACE(デュアル コア ブレース)
2018年
ノスキャップ工法
2010年代に入り、作業者の高齢化や人手不足が深刻化し、大和ハウス工業の技術は建物の性能を追求するだけではなく、建設現場でいかに安全かつ快適に働くことができるかにも広がっていきます。そこで開発されたのが、外部無足場工法「ノスキャップ工法」です。
一般的に、物流施設や工場などの外壁を施工するには、外部足場を組み、下地材にパネルを1枚ずつ取り付ける必要がありますが、外部足場の設置・撤去作業には多くの人員や日数を要します。
本工法は、地上で複数枚の外壁パネルを接合したユニットパネルを製作し、クレーンで吊り上げて建物の躯体に取り付けることで、作業員数を削減し、工期短縮を実現。人手不足解消や施工の生産性向上により、より良い労働環境を実現します。
「ノスキャップ工法」で用いるユニットパネル