インクルーシブデザインによって完成した絆創膏
写真提供:Julia Cassim
インクルーシブデザインが、
誰ひとり取り残さないイノベーションを生み出す。
〜ジュリア・カセム 京都工芸繊維大学KYOTO Design Lab特命教授〜
2020.08.28
インクルーシブデザインとは、顧客イメージから除外されてきたユーザーの『課題』から多様な視点を新たに発見し、アウトプットに生かすデザインのプロセスです。誰ひとり取り残さない世界を目指すSDGsの達成に多くのヒントを与えてくれるインクルーシブデザインの真価について、日本における第一人者、ジュリア・カセム教授に伺いました。
ジュリア・カセム 教授
京都工芸繊維大学KYOTO Design Lab特命教授。
マンチェスター・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザイン、のちに日本政府(現文部科学省)より奨学金を得て東京芸術大学にて美術を学ぶ。ニューキャッスル大学文化遺産学国際センターにて哲学修士号を取得。上海の同済大学、エルサレムのハダサ・カレッジのほか、イギリスをはじめ世界各地でインクルーシブ・デザインについての講義を行っている。イギリスのロイヤル・カレッジ・オブ・アート ヘレン・ハムリン・デザイン・センターの客員上級リサーチフェローでもある。
―― インクルーシブデザインに関わるようになった経緯を教えてください。
留学のために来日して東京で14年ほど過ごしたあと、名古屋へ引っ越し、英字新聞「The Japan Times(ジャパンタイムズ)」のコラムニストとして芸術やデザイン、福祉などの分野について記事を書いていました。
当時、日本は第二の美術館・博物館ブームの到来で、立派な美術館や博物館が次々に建設されていましたが、私はその様子に疑問を抱いていました。建物が増えたことで物理的なアクセスは良くなりましたが、心理的なアクセスはとても不十分なものだったからです。
なぜなら美術作品の解説パネルに書かれているのは、美術や芸術に関する専門的知識を持っていないと理解できない内容ばかりで、とても一般人向けではなかったからです。その解説を目にしたお客さんは、作品が何を表現しているのか、どんなところが魅力的なのかほとんど理解できない状態にありました。ニューヨークで行われた研究によれば、美術館に通っている大半の人はビジュアルリテラシーがないそうです。もともと知識を持っていない人へ一方的な情報の伝え方をしているにも関わらず、「作品を理解できない人が悪い。」と考えられる風潮がありました。
※ビジュアルリテラシー(Visual Literacy)…視覚で得た情報から解釈し評価し、意味を作り出す力のこと
そんな様子を見ながら「一般のお客さんが心から美術作品を楽しむにはどうしたら良いか」考え辿りついたのが、“美術を鑑賞することが最も難しいお客さんの立場から、新しいアイデアを生み出す”ということでした。
―― そこで視覚障がい者向けの美術展を企画したのですね。
当時の状況を批判した記事を「The Japan Times(ジャパンタイムズ)」に書いたことで、ある美術館から企画に参加しないかと声がかかったのです。
地域のリハビリテーションセンターの担当者やボランティアの方々とコラボレーションして企画し、1994年に最初の展覧会を開催することができました。
盲目の少女がオーディオガイドを聞きながら、1994年にカセム教授がキュレーションした展覧会の作品に触れる
写真提供:Julia Cassim
彫刻などの立体的な作品だけでなく、平面的な美術品である絵画も展示することにしました。普段触ることのできない絵画は立体コピーの技術を使いました。絵画をまず図式化してコピーをとり、コピーによって白黒の図となった用紙を立体コピー機に通すと、温度差で黒い部分が浮き出て凹凸に立体化されます。視覚障がい者はその凹凸を触ることで絵を感じ取ることができるよう工夫しました。
絵画は抽象画が中心です。抽象画であれば、目が見える方も見えない方も同じように、得た情報から自分の頭の中でイメージを膨らませ、創造的に楽しむことができるからです。そのため、お客さんの心の中に眠っているビジョンへ刺激を与えるような絵の解説を心がけました。
この方法は一般の来館者にも喜ばれました。「絵画を理解できない私が悪いのではない。」
そう思えたことが非常に良い影響になったのだと思います。
「By understanding the extreme you can innovate for the mainstream.」
エクストリーム(極端な立場)を理解することで、メインストリーム(主流な立場)へのイノベーションが可能となる。
これは、インクルーシブデザインにも通ずるコンセプトです。
展覧会を終えたあとも、企画・実施をともにしたプロジェクトメンバーと3年半の間、美術館や博物館を周って視覚障がい者へ向けた作品解説のボランティア活動を続けました。
美術作品の鑑賞方法を研究する非営利団体『アクセス・ビジョン』を設立。写真は当時のプロジェクトメンバー
写真提供:Julia Cassim
―― インクルーシブデザインとユニバーサルデザインにはどのような違いがあるのでしょうか。
インクルーシブデザインとユニバーサルデザインの基本的な目標は同じですが、言葉が生まれた背景を考えると違いが見えてきます。
ユニバーサルデザインは、製品や情報、建物、環境などを誰でも使いやすいように可能な限りの想定をしてデザインするという考え方です。もともと車椅子での生活を送っていたロナルド・メイスという建築家がこの言葉を使うようになり世界へと広まっていきました。
インクルーシブデザインは、ヨーロッパのデザイン業界から生まれたコンセプトで、メインストリーム(主流)から排除されている物事なら何にでも改善の対象となります。物理的な障害だけではなく、言語的排除、経済的排除、コミュニケーションにおける排除、デジタルデバイドなども含まれています。
※ユニバーサル(universal)…普遍的な、世間一般の
※インクルーシブ(inclusive)…包括的、全てを含んだ
―― その後、インクルーシブデザインの命名者であるロジャー・コールマン氏から誘いを受けて1998年にイギリスへ戻られていますね。
Royal College of Art(RCA,ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)にあるインクルーシブデザイン研究機関、ヘレン・ハムリン研究センターで「Challenge Workshops(チャレンジワークショップ)」というプログラムを立ち上げ、本格的にデザインの世界に入りました。依頼されたことは、障がい者とクリエーティブパートナーシップを組んで、合理的・創造的・人間工学的な新しいプロダクトやサービスを生み出すことでした。
―― 実際にどのような製品が生まれたのでしょうか。
すごく有名なのは絆創膏のデザインです。
デザインチームには全盲の方、手がない方、リウマチの症状が重い方、弱視の方、車椅子の方などがいて、それぞれ意見が違いました。手がない方は足を使って絆創膏を貼りますし、全盲の方は新しい道具を使う時、イチから手探りで使い方を学ばなければなりません。障害となる部分がそれぞれ違うので、ニーズも違います。一つの障害の視点から考えるとデザインに偏りが出てしまいますが、違った特徴を持つ方たちがコラボレーションすると、それまで見えていなかった可能性が見えてきます。インクルーシブデザインにはそれぞれ違った課題を持つ方たちが「対話」しながらコンセンサス(合意)をとるというプロセスが非常に大事です。
約4ヶ月をかけて対話やデモンストレーションを何度も重ね、デザイナーがプロトタイプを作り、テストをして形にしていきます。
写真提供:Julia Cassim
デザイナーと障がい者がコラボレーションすることは、デザイナーにとって、今までの考え方が通用しないことに気付かされ、刺激となります。一つ例を紹介しますと、リウマチの方が自分で工夫したドアの鍵を持ってきてくれたことがありました。その方は手首を使って鍵のツマミを回すという動作が難しかったので、ドアの鍵に金具を溶接して十字型にし、手首を回さなくても開閉できるようにカスタマイズしていました。このコンセプトを参考に、デザイナーが、手首を回さなくて済む新しい瓶オープナーのデザインを考えたんです。
障がい者との対話を通して、意識していなかった課題に気づき向き合うことになる
写真提供:Julia Cassim
習慣や常識がこびりついた自分の頭だけで考えるだけではなく、障がい者がどのように使うのかを実際に見たり、直接対話をして情報を得たりすることで、これまでになかった発想へ繋がるということです。考えたこともなかった問題や現実に直面することは、アンコンフォタブル(居心地が悪い)で面倒に思えますが、コンフォートゾーン(居心地のいい場所)から飛び出して、異文化や多様性を受け入れることは新たなものを生み出すためにとても必要なプロセスです。
―― 2000年から「インクルーシブデザインチャレンジワークショップ」という活動を世界各国で行われています。心に残っているプロジェクトはありますか?
サラエボの若いデザイナーと印刷工房がコラボレーションする1週間のチャレンジプロジェクトがありました。当時ボスニアでは、戦争や経済の影響で聴覚障がい者への支援金が廃止されてしまいました。聴覚障がい者を雇用するその印刷工房は、国から財政的な援助を受けられなくなり、自立したビジネスを行わなければならなくなりました。
インクルーシブデザインは、結果を出すことではなくプロセスが何より大事
写真提供:Julia Cassim
スキルは高いけれど社会とのつながりがなかった。そのため、まずは地元のデザイナーとネットワークを作りました。社会とのつながりができたことで変わったのは、スタッフの意識です。障がい者と健常者を分けるような考え方ではなく、プロジェクトを通してそれぞれが自信をつけていきました。関係性が変わって、自信という種をまけたことにより、新しい製品を開発するなどビジネスは広がって、結果的にEUからの基金を得られるようにもなりました。
印刷工房の変化は店舗の外観にも表れた。プロジェクト前の印刷工房
写真提供:Julia Cassim
プロジェクト後の印刷工房
写真提供:Julia Cassim
「Inclusive design is process.」
インクルーシブデザインは、結果を出すことではなくプロセスが何より大事なのです。
―― インクルーシブデザインは今後どのような広がりを見せていくでしょうか。
この言葉を知っていますか?
「Frugal innovation(フルーグル イノベーション)」
直訳すると、質素な革新という意味です。
一つ例をご紹介します。
私が子どもの頃、町の中心的な場所は図書館でした。でも、デジタル化が進み本を読む人が減ったことで経営が成り立たず、町の図書館が閉館されました。このように、図書館のような自由なコミュニティスペースが少なくなってきていることを非常に残念に思っています。
私の友人ダニエル・チャーニーさんのプロジェクトに「Maker Library(メイカー ライブラリー)」というものがあります。伝統的な職人の技術と最新の印刷技術の交換など、図書館を「共有の本棚」から「情報とスキルをシェアする場所」にするプロジェクトです。建物を壊したり、新しく建て替えたりするのではなく、すでにあるものを現代に合わせて上手に使う方法を考える。これも、制約を材料にして多様な視点を発見し、新しい発想や経験を生み出すインクルーシブデザインと言えます。
経済が右肩上がりではなく、人口も減っていく日本では、このようなFrugal innovationが、インクルーシブデザインの発想を生かした新しい取り組みになっていくと思います。
Maker Library
写真提供:Daniel Charny
―― インクルーシブデザインの日本における課題など、どのように見ていらっしゃいますか。
日本の素晴らしい点は、統一性があること。一度やろうと決めたら全都道府県、沖縄から北海道まで一貫させていますね。例えば、どこの駅にもエレベーターがついてると思います。伝統的な建物が多い海外ではなかなかそれができません。
また温水洗浄便座も素晴らしいと思います。アメリカで発明されたばかりの時は、いかにも高齢者向けの介護用品らしいデザインで、一般的に受け入れられるようなものではありませんでした。人は高齢者用の特別なものを押し付けられたり高齢者扱いをされたくないものです。そこで、日本ではデザイン性を重視して改良しました。高齢者や障がいのある方のために作られた商品には、機能性があってもデザインが美しくないものがたくさんあります。機能性とデザイン性の両方を高めれば、特定の方だけではなく多くの方が使いやすくなります。そうして使う人が増えれば、高齢者や障がい者への偏見や差別がなくなることにも繋がります。
ただし、コミュニケーションデザインとサービスデザインはまだまだ足りないと思います。日本は、日本語の情報ばかりで外国人にとっては不親切な場合があります。日本に住んでいるのは日本人である、という一つのシナリオの上だけで作られているデザインは、排除される人を生んでしまいます。異文化や多様性を取り入れていくと、もっと豊かなシナリオが出てきて、今まで当たり前だと思っていたデザインが、実は当たり前ではないということが見えてきますよ。
「インクルーシブデザインは、結果を出すことではなく、数多くのシナリオを生み出すプロセスが何より大事なのです。」カセム教授の言葉に呼応し、今の日本が気づいていない、誰ひとり取り残さないイノベーションの芽を見つけ、参加し育てることが大切です。
本当の障がいは社会に存在する。『環境・意識・情報』のバリア解消を目指すカリキュラム実践
2019年1月、世界経済フォーラム年次総会『ダボス会議』にて「The Valuable 500(ザ・バリュアブル・ファイブハンドレッド)」が発足しました。「The Valuable 500」は、障がい者が自らの潜在的な価値を発揮し、ビジネスや社会、経済などの分野で幅広く活躍することを目的とした国際イニシアチブです。
多様な従業員が柔軟に働ける職場づくり『ダイバーシティ・インクルージョンの推進』を経営の重要課題とする大和ハウス工業は、参加企業の一社として賛同の意を示し、2020年1月23日に加盟しています。
障がいを持つ方々の社会活動を推進してきた大和ハウス工業の取り組みの一つに、地域共生活動「ソーシャル・インクルージョン・プログラム」があります。『学ぶ・感じる・行動する』の3要素から構成されるプログラムには、共同で企画する株式会社ミライロのコンセプトが反映されています。具体的にどのような活動を行っているのか、株式会社ミライロの垣内俊哉さんにお話を伺いました。
垣内俊哉 さん
株式会社ミライロ 代表取締役社長
株式会社ミライロは、高齢者や障がい者など様々な方々を対象としたユニバーサルデザインに取り組む会社です。代表を務める垣内俊哉さんは生まれ持った持病のため車椅子で生活しており、ご自身の経験と視点を強みとしたリアリティある必要性の高いソリューションを生み出しています。
講演中の垣内さん
「弊社では、障がいは障がい者自身が抱えているものではなく、社会に存在しているものだと捉えています。そして社会に存在する障がいを3つのバリアとして分類し定義しています。3つのバリア(障壁)とは、『環境』『意識』『情報』のバリアです。」
これらのバリアを解消することを前提に「ソーシャル・インクルージョン・プログラム」のカリキュラムは作られています。
まず『学ぶ』というステップでは、『ハードは変えられなくてもハートは変えられる』というスローガンのもと、障がいのある当事者講師の経験を伝える研修を行っています。社員の皆さまが抱いている『意識のバリア』を取り除くため、障がいのある方との向き合い方を伝えています。
次に『感じる』というステップでは、大和ハウス工業の社員が実際に車椅子に乗るなどして、障がいを持つ方がどのような『環境のバリア』に遭遇するのかを体験しながら、どこにどのようなバリアフリーの設備がなされているかリサーチを行います。リサーチ過程で得られた情報は、ミライロが開発したアプリケーション『Bmaps(ビーマップ)』に落とし込みます。
大和ハウス工業が協賛している『Bmaps』は、障がい者のみならず高齢者、ベビーカー利用者、外国人など多様な方々が外出時に求める情報を収集・共有できるアプリケーションです。バリアフリーが進んでいるにもかかわらず、周知が行き届いていなかった大阪城公園をスタート地点に、大和ハウス工業のみなさま、ミライロのスタッフ、ボランティア、アプリユーザーが共同で情報収集・共有を継続し、『情報のバリア』解消を推進しています。
最後のステップ『行動する』では、プロバスケットリーグの試合会場で『ユニバーサルマナーブース』を大和ハウス工業とミライロ共同で出店し、サポートが必要な来場者に対する誘導を実践。意識の変化だけではなく行動への落とし込みができる機会を積極的に創出しています。
「障がいに対する関心度は、無関心か過剰かに分かれる傾向がある」と垣内さんは話します。
全く関与しない『無関心』でもなく、一方的な想定による『過剰』な支援でもなく、適した情報や環境が社会に存在しているためには、障がい者が直面する課題の事実を知ること。インクルーシブデザインに通じるプロジェクトが日本でも進んでいます。