国内外の数多くの建物や都市を研究する建築史家として活躍しながら、建築家としても自然と融和した魅力的な建物を生み出している藤森照信さん。今回は、日本の建築の歴史や、藤森さん自身の作品などを紐解きながら、自然と建築の関係、そしてサステナブルな建築のありかたについてお話を伺いました。
藤森照信 さん
建築家、建築史家
近代建築史・都市史研究を経て1991年、45歳のときに〈神長官守矢史料館〉で建築家としてデビュー。土地固有の自然素材を多用し、自然と人工物が一体となった姿の建物を多く手掛けている。建築の工事には、素人で構成される「縄文建築団」が参加することも。代表作に〈タンポポハウス〉〈ニラハウス〉〈高過庵〉など。近作に〈多治見市モザイクタイルミュージアム〉や「ラ コリーナ近江八幡」の〈草屋根〉〈銅屋根〉などがある。東京大学名誉教授、工学院大学特任教授。東京都江戸東京博物館館長。
建築の長寿命化、その大切さと難しさ
―― 建物のサステナビリティというと、周辺地域への配慮、温暖化や有害物質への配慮など、様々な要素が必要となってきますよね。まずは、建替え文化が根強い日本において建物の長寿命化を目指すという課題について、藤森さんはどのようにお考えですか。
藤森 : 「つくっては壊す」という行為をやめることですから、まことにけっこうなことです。そして、建築には、サステナビリティを求められる背景があります。超高層ビルをはじめとして、建築物を解体すれば巨大な産業廃棄物が生まれる。当然環境に多大な負荷がかかるわけで、なるべく長く使われることが重要です。
ただ、簡単にはいかない面があります。電化製品や乗り物に比べて、建築の各場所は様々な設備や材料が入り混じり、複雑につくられています。正直なところ、建物を本当の意味で持続可能にするのは、すごく手間がかかることなんです。
古今東西の建築を吟味し、また自らつくり続けてきた経験から、縦横無尽に建築を語る藤森さん。「建築と自然の融和」が長年のテーマだ。
―― 建築の世界で、サステナビリティに似た概念を持つムーブメントや考え方は、以前からあったのでしょうか。
藤森 :1960年代に菊竹清訓さん、黒川紀章さん、槇文彦さん、大高正人さんといった錚々たる建築家たちが「メタボリズム」という運動を起こしました。
メタボリズムとは、建築を「新陳代謝させていこう」「木や植物のようにだんだん成長できるようにしよう」という考えです。今で言うところのサステナビリティに近いでしょう。そしてその思想を見事に造形化してみせたのが、黒川さんが設計した〈中銀カプセルタワー〉でした。
ただし、やはりここで建築の高耐久性・長寿命化を実現させる難しさに直面します。黒川さんは、「住居ユニットのカプセルを付け替えていけばいい」と主張したのですが、建物は傷む場所の順番や度合いがそれぞれ違う。
例えば、意外とすぐに傷んだのは、給排水の配管でした。配管は構造体の中に入れられていたため、取り替えようとすると、カプセル全体を外さないといけない。配管を構造体の外に出して、耐久性のある部分とそうでない部分を分けておけばよかったのかもしれません。
黒川紀章氏の初期の代表作「中銀カプセルタワー」。カプセルを積み上げた形の集合住宅で1972年竣工。
―― その後、「取り替え」の考えは取り入れられていったのですか?
藤森 : そうですね。大量の住宅のメンテナンスをする中で、短い期間で取り替えなくてはいけないところと、長い間使えるところとが明確になってきました。骨組みは最も長くもつのですが、水廻りの設備、特に配管には問題が起こりやすい。その反面、空調機器は性能が年々進化しており、コンパクトで消費電力も少なくなってきています。その点では、長寿命化という、建築におけるサステナビリティは、徐々に実現しやすくなっているのかもしれません。
―― 骨組などずっと使い続けるものはしっかりとつくり、問題が起こりやすい箇所や、技術進歩の速い設備部分はメンテナンスしやすい設計にすることで、長寿命化という時代のニーズに応えていくことができそうですね。
藤森 : そうです。徐々に部品を替えて使い続けることを想定したクルマや電化製品というのは出てきたことがありませんよね。建築では、交換することをあらかじめ考えておくことができますし、それにより長寿命化を実現できる。そうすることで解体による環境負荷が抑えられるわけですから、建築は環境のサステナビリティに最も貢献できる分野かもしれません。
世界最古の木造建築「法隆寺」、日本最古の茶室「待庵」――あの日本建築が長持ちする理由
―― たくさんの資材を使う建築において、資源の循環性という観点も重要です。建材のリサイクルの現状はいかがでしょうか。
藤森 : 建物に使われる材料の中で、リサイクルされているものとしては、紙と鉄などがあります。紙はリサイクルのシステムが確立していて、最近では奪い合いになっているくらい。鉄も有史以来、リサイクルされてきました。鉄筋コンクリートの塊を解体現場で潰しているのは、運びやすくするのに加えて、中に入っている鉄筋を取り出すためです。一方で、コンクリートやプラスチックなど、たくさんの廃棄物をどうするかは、今後の大きな課題です。
―― 日本の伝統的な建材である木材は、資源の循環性という観点からはどのように評価できますか。
藤森 : 木は伐採してもまた生えてくるので、木材は循環性に優れている材料と言えるのではないでしょうか。ただ、木がこれほど身近なのは日本だけ。日本は岩盤が少なく、地震の褶曲(しゅうきょく)※を受けて土壌が緩み、雨が年間を通してよく降るので、木が自然と生えてきます。
岩盤が多い地域では、そうはいきません。ロンドンでは大火の後に建物をすべて煉瓦造りにしましたが、煉瓦の生産で都市周辺の木を伐採し尽くして燃やしたために、森林が荒廃してしまった歴史があります。
※ 地層などが大きな力によって、波を打ったような形状に変形すること
―― そういった背景から、木造建築は日本らしいスタイルなんですね。建築の長寿命化を考えるとき、日本で長い間建っている木造建築も参考になりそうです。
藤森 : 木造建築として世界最古の法隆寺があるように、メンテナンスし続けて、長く使うという意味ではサステナブルでしょう。ただ、法隆寺は特殊ですから、現代の持続可能性とは単純に比較できません。
―― どのような点が特殊だったのでしょう。
藤森 : 法隆寺は、まさに法隆寺のためだけに技術も材料も結集してつくられた一点物。例えば、柱を切り出す際、通常であれば一本の木から一つの柱を得ます。その場合、強度の低い芯を含まざるを得ません。
一方、法隆寺では太い木から芯を避けて、4本の柱が取られるという贅沢な使い方がされました。樹齢を重ねた太い木だからできたことです。だから柱が強固なんです。建立当時の飛鳥時代には、まだ周辺に良質なヒノキの大木が豊富にあったのでしょう。
ちなみに、縄文時代では、クリのような広葉樹しか使っていなかったのですよ。石の斧では、針葉樹のスギやヒノキは切れないからです。ヒノキなど建物に使いやすい針葉樹が伐採できるようになったのは、弥生時代に鉄が扱えるようになってからでした。
中世以降は、木材を流通させて使うマーケットができて、現代にも通じる木材の寸法体系が定まっていきました。
木造建築を語るときには、こうした歴史的背景も念頭に置かなければなりません。
上質な大木が豊富にあった時代ゆえの、ぜいたくな柱の取り方を描いてみせる藤森さん。
日本が世界に誇る建築・法隆寺。その耐久性だけでなく、回廊の配置の美しさなど、デザインとしての完成度も極めて高い。
(c)YOSHIO TOMII/SHASHIN KOUBOU /amanaimages
―― 材料だけでなく、デザイン性も建物の長寿命化には関係がありますか?
藤森 : おおいにありますね。見た目が美しいから、みんな大切にして長持ちするんです。何が美しいかの感性は、国によって異なります。例えば、日本には木の表面に塗装を施さない白木を良しとする美学があります。海外では、だいたいニスやベンガラなどの塗料を木の表面に塗ります。法隆寺にも一部では塗られていたようですが、中世から安土・桃山時代の千利休の茶道で、白木の美が確立されました。以降、日本の伝統的な建物には白木が多く使われています。
利休による現存する日本最古の茶室「待庵」は、長持ちしている建物の中では個人的に好きなものです。待庵は、言ってしまえば、人力で持ち上げられるような小さなボロ屋ですよ(笑)。でも何百年もの間、地域の人々から愛され重要な建築物としてあり続けています。使う方に愛され大切にされるということも、建物が長持ちする条件としては欠かせないのでしょう。