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Special Interview スペシャルインタビュー サステナブルな人 シェアリングエコノミー伝道師 石山アンジュさん

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サステナブルな人 スペシャルインタビュー

シェアリングエコノミーで実現するサステナブルな暮らし
~シェアリングエコノミー伝道師 石山アンジュさん~

関連:シェアリングエコノミーとは? 〜押さえておきたい4つのポイントと新型コロナウイルス感染拡大の影響〜

2018.03.20

内閣官房シェアリングエコノミー伝道師として、シェアリングエコノミーに関するさまざまな情報を発信している石山アンジュさん。石山さんご自身も、約40人のクリエイターで組織する生活共同体「Cift」のメンバーとして、つながりを軸とした新しいライフスタイルを実践されています。

今回は、今広がりつつあるシェアリングエコノミーのサービスや、シェアリングエコノミーが暮らしにもたらす変化について、お話を伺いました。

個人主体の働き方・生き方の模索を経て出会ったシェアリングエコノミー

1989年生まれ。一般社団法人シェアリングエコノミー協会の事務局長、内閣官房シェアリングエコノミー伝道師(※)、総務省地域情報化アドバイザーなどを務める。

※「シェアリングエコノミー促進室」により任命され、各地域の方々とともに課題に向き合い、その解決に向けてシェアリングエコノミーを推進、展開していく活動を行っている。石山さんはその中の一人。

―― 石山さんがシェアリングエコノミーの普及活動をするようになったきっかけから伺えますか。

プライベートとキャリアを通じた2つの側面があるのですが、プライベートのほうからお話しすると、10代の頃の暮らし方が原点となっています。12歳のときに両親が離婚してから一人っ子だった私は、3日間は母の家で2日間は父の家で、あとの2日間は友だちの家で過ごすというような生活を10年以上送っていました。こうした生活を送る中で、「自由に出入りできて、ごはんを食べさせてもらえる場所」が増えていきました(笑)。

両親が離婚していると聞くと、一般的には「かわいそうね」「さみしかったでしょう」と思われるかもしれません。でも、多くの人と関わりながら生活していたので、さみしいと思ったことはなかったんです。それどころか、家族という形にとらわれなくても、人と人とはつながり支え合いながら生きていくことができるし、心豊かに暮らしていけるのではないかと思っていました。

一方、キャリアの面では、新卒で入社した会社で大手企業の人材戦略にまつわるさまざまなプロジェクトを担当していく中、ある種の違和感を覚えるようになりました。例えば、景気の変動によってその年の新卒採用の枠が決まってしまったり、真の女性活躍よりも数値目標の達成が優先されたりすることがあります。

そんな、個人の意思よりも組織の理論が尊重されるようなアンバランスさに釈然としない思いがあったんです。こうした状況から組織に従属しなくても個人が主体的に働ける選択肢や社会環境の必要性を強く感じるようになっていきました。

石山さんはシェアリングエコノミー協会の事務局長として、国内外のメディア連載などの情報発信を中心に活動している。

※本人提供写真

また東日本大震災を通じて、それまでの価値観を根本的に考え直す時期にきていると痛感しました。当たり前のように既存社会の枠組みの中で企業組織に属し、一生懸命働いて収入を得る。そしてその稼いだお金で当たり前のように、衣食住に関わる全てを企業の供給するサービスで消費する。

そんな生活がある日突然、不可抗力的に享受できなくなってしまう現実を目の当たりにして、これまでの組織依存的な働き方や消費行動、衣食住の生活構造を変えていかなければと思ったのです。

そこで、新しい働き方の選択肢として、個人が企業に属さなくてもパソコン一つで仕事を得ることができる、仕事を依頼したい人と働きたい人をオンラインでマッチングする「クラウドソーシング」というビジネスモデルに着目したのです。

その後クラウドソーシングサービスを展開する企業に可能性を感じ転職しました。現在は経営企画室で政策渉外の仕事をしていますが、シェアリングエコノミー協会の立ち上げに参画することになり、同協会で事務局長も務めています。2017年3月には内閣官房シェアリングエコノミー伝道師も拝命しました。

シェアリングエコノミーとは、個人間でモノや場所、スキルなどを、インターネット上のプラットフォームを介して貸し借りしたり、売買したりする新しい経済活動のことです。日本では2015年頃から少しずつ認知されるようになり、2015年12月には、シェアリングエコノミー協会が設立されました。

私がシェアリングエコノミーのサービスと出会ったのは2012年頃で、世界ではすでに民泊プラットフォームなどが広まっていた時期です。私自身も海外で民泊プラットフォームをよく利用していました。そして、少しあとにそれがシェアリングエコノミーのサービスの一つだと認識したのです。

「これこそが自分が以前から思い描いていた、個人が主体となって人と人とのつながりの中で豊かな暮らしを実現していく基盤になり得るものだ」――。それが、私がシェアリングエコノミーという、新しい経済のあり方を知ったときに感じたことです。そして今では、シェアリングエコノミーを世の中に普及させていくことが、私の使命だと確信しています。

日本でも最近、存在を知られるようになってきた民泊プラットフォーム。石山さん自身は2012年頃から海外でよく利用していたという。

※本人提供写真

地域での支え合いこそ、日本に古くからあるシェアリングエコノミーに通じる「文化」

―― 日本にシェアリングエコノミーを普及させるための活動について、お聞かせください。

主に2つあり、1つはシェアリングエコノミーの普及に不可欠な法律的な課題や安全面の整備のために、シェアサービスのプラットフォーマーと政府・行政との橋渡し的な役割をしています。もう1つは「内閣官房シェアリングエコノミー伝道師」として、社会的な課題を抱えた地方自治体の現場に赴き、課題解決に向けてシェアリングエコノミーを推進、展開しています。

―― シェアリングエコノミーが広がりを見せているとはいえ、理解を得るには難しい面もあるかと思います。シェアリングエコノミーを身近に感じてもらうために工夫されていることはありますか。

確かに「シェアリングエコノミー」といきなり言われても、横文字でよくわからないという人も多いです。でも実は、日本にはもともとシェアリングエコノミーに通じる文化が息づいていたと思うんです。

例えば昔はよく、お醤油などの調味料が切れたときにご近所同士で貸し借りをしたり、いただきもののおすそ分けをし合う習慣がありましたよね。そんな地域の助け合い、支え合いこそが、シェアリングエコノミーの原点です。

そこにインターネットやスマートフォンといったテクノロジーを介することで、お隣やご近所だけでなく、隣町や県外、日本全国、さらには世界中の人々と助け合い支え合うことができるようになったのです。

石山さんは「調味料の貸し借りや、いただきものの『おすそ分け』の習慣こそが、シェアリングエコノミーの原点」と指摘する。つまりシェアリングエコノミーは、日本文化と親和性が高いと言えるだろう。

はじめはピンとこなかった方でも、例えば「インターネットやスマートフォンを使うと、困ったときに助けてくれる人が、ご近所さん以外にも増えたりするんですよ」とお伝えすると、興味を持っていただけるようです。

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