青森銀行記念館
明治の粋を今に伝える重厚な風格と気品
弘前公園追手門の近く、ひときわ目を引くヨーロッパルネッサンス風の建物が青森銀行記念館だ。
歴史をひもとくと、明治12年(1879)に青森県初の銀行である第五九国立銀行として設立。建物は明治37年、株式会社第五九銀行の本店として落成した。
昭和に入り、県内5つの銀行が合併して青森銀行弘前支店となり、昭和40年まで60余年の間、ここで銀行業務が行われていた。
弘前支店新築に伴い、取り壊しが予定されていたが、市民による保存の声が高まり、銀行側の計らいで昭和42年から記念館として保存・公開。昭和47年には国の重要文化財に指定され、贅を尽くした建物は、明治の面影を今に伝えている。
設計施工は、青森が誇る明治の代表的棟梁・堀江佐吉。弘前藩お抱え棟梁の長男として生まれ、函館や札幌で洋風建築を学ぶ。弘前に戻ったあとは、東奥義塾高校を皮切りに洋風建築に取り組み、青森銀行は彼の集大成といわれる麗しさだ。
初秋の風に吹かれて、一人建物の前に立つ。品格ある堂々とした姿は、心地よい緊張感を与えてくれる。
白い外壁は、下地の板の上に素焼きの瓦を張りつめ、その上に漆喰を重ね塗った「張り瓦」工法。窓は土と漆喰で固めた「土戸」という引き戸で塞ぐことができるよう工夫されている。屋根の先の手すり壁は、洋風の建物を美しく見せるだけでなく、北国津軽に不可欠な雪止めとしての実用性も兼ね備えているのだ。
ルネッサンス風建築の基準を厳格に守りながら、日本の土蔵造りの構築を取り入れて防犯・防火に備えるなど、人々の大切な財産を預かる銀行という場所ゆえに、和洋折衷建築の良さが随所にいかされた見事な建物。
重い扉を押して中に入ると、往時の銀行を偲ばせる分厚いケヤキのカウンター。広々とした空間の真ん中には柱がない。それは構造がしっかりしているから。優雅な曲がり階段は、正面から見たとき、左右対称の美しさが損なわれないよう考慮されてのこと。
2階大会議場の床や腰板は、すべて青森県産ヒバを使っている。天井に目を移すと、アカンサスの葉をモチーフにした豪華な「金唐革紙」。かつて国会議事堂にも使われていたが、今は小樽の日本郵船とここだけにしかない。
明治に思いを馳せて、ゆっくりと歴史を確かめるように館内を歩くと、柱時計の「ボーン」と時を告げる音。小窓から流れる風がノスタルジックな優しさを運んでくれた。
rakra2007年10月号掲載
2007年9月頃撮影
【天井】和紙にスズ箔と漆を用い、17の行程を手仕事で仕上げた金唐革紙。和紙に施した日本の優れた技術はヨーロッパでも高く評価された。
【カウンター】最も頑丈な木とされるケヤキを用いたカウンター。
【窓】土と漆喰で固められた分厚い引き戸。これで防火対策も万全。
【屋根】バラストレードト呼ばれる手すり壁は、建物の景観を引き締めるだけでなく雪止めの役目も果たしている。建物頂上の装飾塔からは、当時、弘前の街をすべて見渡すことができた。