スポーツとビジネスには「共通点」がある。たびたび耳にする言葉ではあるが、両者の世界で成果を出す人が持つ共通の思考法とは何か。
その一つの解として、「弱さを受け入れ、向き合い続けること」の重要性を語るのは、オリンピック柔道史上唯一、前人未到の3連覇を成し遂げた野村忠宏氏と、ラグビー選手として挫折を味わった経験から、32歳で大和ハウス工業に転職し、現在は同社のCEOを務める芳井敬一氏だ。
決して順風満帆なキャリアではなかったと話す二人が、これまでを振り返りながら、自らの弱さとの向き合い方やこれからのリーダーに求められる思考法を語り合った。
野村 そうですね。オリンピック3連覇というのは、たしかに輝かしい功績に見えるかもしれません。
しかし、それは私にとって、弱い自分を受け入れ、常に自分と向き合い続けた結果でしかありません。
私は、もともとネガティブ思考で、決して強い人間ではありません。
試合前はいつも眠れませんし、不安や緊張、プレッシャーに常に押し潰されそうでした。
私の現役時代、日本発祥のスポーツでもある柔道は、金メダルを取って当たり前の風潮がありました。五輪で金メダルが取れないようであれば、4年間の努力やプロセスに周囲から疑問を投げかけられることになる。
もし私が、その不安や恐怖心と無理に戦おうとすれば、一気にプレッシャーに飲み込まれてしまう。だから、弱さを克服するよりは、弱い自分を受け入れ、プレッシャーを「当たり前」のものとして捉えるように意識していました。
芳井 人間は、決して強い生き物ではありませんよね。常に自分を大きく見せようとしたり、成長にこだわりすぎたりしてしまうと、長期的に体も心も持たない。
だから自分の弱さを受け入れ、向き合い続けることが重要なのだと思います。
私は大学でラグビー部に所属していたのですが、試合に出場できず、くすぶっていた時期がありました。当時は、自分の弱さを素直に受け入れられず、試合に出場できない理由を監督やチームに求めていたと思います。
しかし、このままでは何も変わらないと思い、3年生の時に、「この1年間で公式戦に出られなかったら、ラグビーを辞める」と決めてみた。
すると練習への姿勢が変化した。試合に出場するために、監督が求めていることを真剣に考えるようになり、いつしか公式戦に出場できるようにもなりました。
もしあの時、自らのラグビー人生のタイムリミットを決めることができていなかったら、私は自らの弱さに負け、ただなんとなく練習に取り組む日々を過ごしていたはずです。
この経験から、自分の弱さと向き合い続けるためにも「決める」というアクションが非常に重要なのだと学びました。
野村 とても分かります。何かを決めるということは、「やらないこと」を決めるということでもあります。
やらないことが明確になることで、思考がクリアになり、道がひらける。
自分が柔道を続けられたのも、自分で決めた、自ら柔道を選んだという思いが根底にあったからです。
私は、3歳から柔道をはじめたのですが、もともと身体が小さく、決して強い選手ではありませんでした。中学校1年生の時には、女子選手にも試合で負けました。
その後も、努力はするものの、勝てない日々が続いた。強くなりたいのに、うまくいかない。誰からも期待もされないし、柔道を続けることに苦しみもありました。
しかし、誰かに強制されているわけではない。他のスポーツも経験したなかで、私が、私の意志で、自ら柔道をやると決めている。それを自覚しているからこそ、自らの成長を諦めることはできませんでした。
その後、高校3年生ではじめて県大会で優勝したことで、自分の成長を実感できたことがありましたが、でも全国大会に出ると、予選リーグで負けてしまいました。
全国でも通用すると思った認識の甘さ、自分の弱さが分かったと同時に、日々の練習を改善すればまだチャンスがあるとも思えました。この時、敗北そのものが問題ではなく、「失敗から何を学ぶことができるか」が、重要だと感じた瞬間でもありました。
芳井 戦うフィールドが変われば、そこでしか出会えない強さを持つ人たちがいますよね。
その人たちと対峙し、一時的に敗北感を味わったとしても、そこには成長のヒントがあるものです。
大切なのは、失敗の理由を分析すること。失敗と向き合うことから、逃げないことです。
たとえば、営業が競合会社に負けて受注を逃した理由を「価格」で片付けてしまうことがあると思います。しかし、敗北の本当の理由はお客さまや現場に確認しないと分からないものです。
このように失敗を素直に受け入れず、表面的な言い訳を繰り返していれば、また同じ失敗を繰り返すことになる。どんなに失敗の数を重ねたとしても、そこに向き合うことから逃げれば、次の学びにつながることはありません。
それは非常にもったいない。ではどうすればいいのか。とてもシンプルですが、私は目標を決めることがやはり有効だと考えています。
野村 たしかにぶれない目標があるからこそ、負けや失敗を受け入れられるという面はありました。
オリンピックが最終目標だから、その過程にある試合では負けても、それを活かしてオリンピックにつなげられれば良い。目標が明確なので、道筋を立てやすかった。
それも結局、押し付けられたり与えられたりした目標ではなく、自分で決めた目標だから、負けや失敗を素直に受け入れることができました。
芳井 ビジネスでも同じですね。
会社の方針や経営者に与えられた目標や指示に従うだけでは、結果を他責にしてしまう。目標を自分ごと化できないと、成長する意欲が育まれにくいですし、そもそも仕事が面白くない。
実はこの目標設定について、私が過去に反省した大きな失敗があります。
私は大学卒業後、ラグビー強豪の神戸製鋼所グループに入社し、32歳まで現役のラグビー選手として活動していました。その頃、チームはそれほど強くありませんでしたが、当時、チームには「日本一になる」と毎日言い続けた選手がいました。
しかし私は、日本一は夢物語だと考え、リーグ戦で3位以内に入れればいい、あるいは同じポジションのライバルに勝てればいい、という身近なところに目標を設定していました。
そして、私がラグビーを辞め、大和ハウス工業に転職した後の話です。彼は、本当に日本一の夢を叶えたのです。
私はこの時、自分の目標設定が低すぎて、それが自分の成長を阻害していたことに、はじめて気付きました。いま振り返ると、彼は高い目標を目指すからこそ、私の何倍も努力をし、何倍も成長していました。
野村 低すぎる目標は、自分を成長させることはありませんよね。高い目標を掲げるからこそ、人の可能性は解放されるのだと思います。
芳井 それは企業の成長においても同様でしょう。
私たちは、 創業者・石橋信夫の「儲かるからではなく、世の中の役に立つからやる」「“将来の夢”が人や企業を成長させる」という創業者精神とともに成長してきました。
その創業者精神を継承しながらも、今年、新たに“将来の夢”として掲げたのが、「生きる歓びを、未来の景色に。」というパーパスになります。
これは2055年に迎える100周年に向けて、私たちの存在意義そのものを問い直すための目標でもあります。
ただパーパスを掲げたからといって、すぐに社員全員が同じ方向を目指し、可能性が解放されるかと言われるとそうではないでしょう。
そこでリーダーに問われるのが「伝える力」です。
トップがストーリーを伝えることができなければ、夢や目標は実現できない。ですからパーパスの策定と同時に、丁寧かつオープンに伝える努力をしています。
野村 リーダーは、相手に気付きを与える、響く言葉を投げかけるというのは、思い当たる経験があります。
私も、大学生の時の先生との出会いで、練習への取り組み方が大きく変わりました。その先生は、大勢の選手がいるなかでも、一人ひとりの強みや課題、性格を見極めていました。
その選手の一人ひとりの個性に合わせて、「よし頑張ったな」と言うのか「そんなものか」と言うのか、声の掛け方ひとつひとつを丁寧に選択されていた。そして先生の指導者としての姿勢や伝える言葉そのものが、選手一人ひとりの成長を大きく左右していたのだと感じています。
芳井 私は、カリスマ経営者として知られる前CEOの樋口(武男)のように、カリスマ性があるタイプではなく、全社員1万人を一気に動かすことができる才能はありません。
だからこそ、重視するのは「対話」です。
パーパス策定までに全従業員参加型の“将来の夢”プロジェクトを立ち上げ、若手社員を中心にグループ社員とともに1年かけて、これからの社会課題について話し合い、私たちの存在意義について議論を重ねてきました。
具体的には、全国の各事業所に足を運び、可能な限り一人ひとりとコミュニケーションを取りました。
各事業所の入社1年目から3年目までの若手社員から管理職などそれぞれ15名前後を集めて1時間のQ&Aをする時間をつくる。すると面白いのは、若手はその場で思いついた意見を出しているのに、管理職はあらかじめ紙に書いてきた質問を読み上げているんです。
そういう時は、「私はここにいる。なんでも言ってください」と伝えると同時に、まずは自分の弱い部分を素直に話します。そうして自分から心を開くことで、社員の本音を聞き、可能な限り距離を縮めたい。
トップである私がそういう姿勢でいると、管理職も若手も私の目を見て話してくれるようになります。すると、若手が自信を持って意見を発言できますし、管理職にとっても、メンバーのことをより詳しく知る機会になる。
またこうした機会が、お互いの弱さを分かち合える場にもなります。育成の観点でも、私がかつて中途入社にもかかわらず見出してもらってここまで来られたように、公平に機会を与える場にできればと考えています。
野村 直接語り合い、理念を伝え続けることはとても重要ですよね。
たとえば、柔道の創始者、嘉納治五郎先生の基本理念に「精力善用」「自他共栄」というものがあります。精力善用とは、柔道で鍛えた力を使って相手をねじ伏せたり、威圧したりするのではなく、社会の役に立つために能力を使いなさいという教えです。
自他共栄とは、互いに信頼し、助け合うことができれば、自分も世の中の人も共に栄えることができる。そうした精神を柔道で養い、自他共に栄える世の中をつくろうという意味です。
子どもたちにも、こうした柔道の基本理念は「変えてはいけないもの」として伝え、あとは柔道そのものを楽しんでもらいたい。
もちろん柔道の技や練習法は時代に応じて変えるべきものだと思いますが、ビジネスも同じで基本の理念を大切にすることは非常に重要ではないでしょうか。
芳井 柔道の基本理念と同様、変えてはいけないというのはまさに、大和ハウス工業でいうと企業理念ですね。
特に重要だと考えるのは上から3つ。「事業を通じて人を育てること」「企業の前進は先づ従業員の生活環境の確立に直結すること」「近代化設備と良心的にして誠意にもとづく労働の生んだ商品は社会全般に貢献すること」です。
加えて、決して忘れてはならないことがあります。それは、これまでお付き合いしてきた約3,000万人※のお客さまの存在です。
私たちが企業活動を行えるのは、お客さまのおかげにほかなりません。そして、変化する時代のなかで、いま改めてお客さまに誠実に寄り添うことができるかどうかが問われています。
もし私たちが、お客さまに対して誠実に向き合うことができなければ、いずれ見放されていき、50年後も生き残る企業にはならない。私たちは、そう考えています。
お客さまの笑顔が、自分の笑顔になるように。私たちは、笑顔が多い未来をつくりたい。
そのためにも、創業者精神を継承しながらも、柔軟に変化を遂げていきたい。
そして、自らと向き合い続けることを怠ることなく、新しい羅針盤となる“将来の夢”の実現に向けてさらなる挑戦をしていきたいと思います。
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