「おもてなしの心は続く」
-大阪マルビル-
大阪のランドマーク的存在だった大阪マルビルが建て替えへ。多くのお客さまを迎えてきたホテルスタッフたちからの感謝と未来への願いを込めて。
人々の記憶に残る丸いビル
大阪・梅田の真ん中に、丸い円筒形のビルがある。その名は、大阪マルビル。
1976年、まだ建物が少なく空が広々としていた頃、地上30階建て、日本初の円筒形超高層ビルとして完成。大阪・梅田のシンボルタワーとして愛されてきた。
1976年竣工当時
名物だった回転式電光掲示板
今は周辺にビルが林立
ビル内の大阪第一ホテルで働く女性は、幼い頃、初めて大阪マルビルを見たときのことをよく覚えている。小さな女の子だったその人は、夕暮れに包まれた街を母に連れられて歩いていた。道の先に見えてきたのは、丸いビル。女の子が生まれて初めて見た、丸い建物だった。
「お母さん、あれ、なあに?」「大阪マルビルっていうの。中にホテルが入ってるのよ」「おへやは、どんなかたちなの?」「きっと丸いケーキを切ったショートケーキみたいな形をしているんじゃないかしら」
ひと目見たら忘れられない、まるでケーキのようにワクワクさせてくれる丸いビル。ホテルがあって、レストランやカフェがあって、チャペルもある。バブル景気の時代、ディスコブームの火付け役になった店もあった。女性はボディコンで、男性はスーツでめかし込んだ。世界的なCDショップもあった。開店記念で人気アーティストのラジオ公開収録が行われると、JR大阪駅から大阪マルビルまでの道が人で埋め尽くされた。
完成から今日まで、大阪マルビルは人々の記憶に残る場所だった。ここでいくつもの恋や愛が生まれ、友や家族が語らい、ビジネス客がやってきて、旅する人が帰っていった。そんな46年間を思い出に、大阪マルビルは2023年、建て替えへ。2025年には大阪・関西万博のバスターミナルとして活用され、2030年、新しいランドマークに生まれ変わる。
開業時のにぎわい
内にも外にも気配り目配り
「大阪マルビルを建て替えます」。発表後、テレビやSNSに惜しむ声があふれ返った。
「ホテルの閉館前に」と足を運んでくださる方も多く、マネージャーの北井は、お客さまから「開業のテープカットに立ち会ってから、何十年も通っていたんだよ」と声をかけられ、ありがたくて頭を下げた。支配人の阿部は、年配のご夫妻から「45年前ここで結婚式を挙げたんです。最後にもう一度見に来ました」と言われ、胸を熱くした。
そんなお客さまとの会話を、阿部や北井は日々のフロント業務でも大切にしている。おすすめのお店を聞かれたら、自分が行ってよかったところを「おいしいですよ」とご案内。チェックイン時、後ろのお連れさまがあたりを見回していたら「何かお探しですか?洗面室ですか?」とお聞きする。お客さまの行動や心情を察知し、さりげない気配り目配りで寄り添うように心がけてきた。
その気遣いはスタッフにも向けられる。北井は育休明けに子どもの発熱で休むことが続き、「迷惑をかけている」と悩んだが、「子どもはそういうもんだよ。気にしないで!」とみんなから声をかけられた。
相手を思う気持ちは、会社の教育方針によって育まれた。従業員を「内部顧客」、お客さまを「外部顧客」と考え、「従業員を大切にする気持ちや礼儀がないと、お客さまを大切にできない」と教わるのだ。阿部は「チームワークがすごくいい会社なんです」と胸を張り、その雰囲気がお客さまにも伝わると考える。
北井も「内部顧客を大切にすると、こんなにも働きやすい職場になるんだ」と学んだ。ここで働いている人たちは、これからどんな職場に移っても、スタッフとの信頼関係を大切にする人であり続けるだろう。
懐かしい思い出話に笑顔
思い出をつくるレストラン
料理長の伊原は長年、レストランやホテルで腕を磨き、大阪第一ホテルにやってきた。他の店にいた頃は、おいしさを追求する職人気質が強かったが、ここに来てからは、味は当然のことながら、「お客さまに喜んでいただくことを第一に考えるようになりました」。
宴会や記念日の会合があれば、営業担当者から会の目的やお客さまの好みを聞き出し、メニューをつくる。サプライズの演出も考える。バスケットボール部の卒業謝恩会にはボール風のケーキを、テニス部の集まりにはテニスコート風のケーキをお出しした。
コロナ禍の前まで営業していたバイキングレストランで、新メニューを開発するのも楽しかった。スタッフ全員で盛り付けを考えたり、メニューPOPをつくったり。迎えた初日、ビュッフェ台に並んだ料理を眺めるお客さまのうれしそうな顔、顔、顔。そう、この喜ぶ顔が見たかったんだ。
ある年のこどもの日には、お子さまにコックコートと帽子をお貸しして写真撮影を行った。その時、一人のお子さまが伊原に向かって「コックさんって、かっこいい」と満面の笑顔。苦労はすべて報われた。
料理人にとって「おいしかった」は最上の褒め言葉だ。でも、もっとうれしい言葉があると、ここで知った。「思い出になりました」「ありがとう」。だからこそ伊原は思う。2030年、新しい施設に生まれ変わっても「大阪第一ホテルのお客さまに対するホスピタリティを継承してほしい」と願うのだ。
テニスコート風のケーキ
厨房でスタッフに指示
無名の裏方にとっての喜び
客室を快適に保つハウスキーピングは、ホテルの印象を左右する重要な仕事だ。客室管理課の中町は、大勢のスタッフを率いて日々奔走している。
客室は460室。すべての客室清掃が予定どおり終わった日はテンションも上がる。順調な日ばかりではなかった。2018年の大阪府北部地震では、すぐ近くで震度6弱を記録。幸いホテルに被害はなかったが、朝8時前、エレベーターが止まる。だが、仕事は365日止まらない。清掃スタッフは、地下3階のバックヤードから持ち場のフロアまで階段を上った。最上階は29階。フロントスタッフもお客さまのスーツケースを汗だくで運んだ。
そんな裏方に目を留めてくださる方もいた。お客さまの忘れ物を郵送し、いただいたお礼の手紙を中町は大切に置いている。足を怪我されたお客さまから、滞在中のサポートに対して便箋3枚の手紙をいただいた時は泣きそうになった。普段は無名の裏方に徹しているだけに、「中町さんへ」と名前を書いてくださることが、働きを認められたようで本当にありがたかった。
いつも同じ部屋を予約されるお客さまのお気持ちを知りたくて、客室を確かめに行ったこともある。窓の外にビル群の夜景、遠くには大阪湾が見えた。長年勤めていても知らなかったホテルの魅力を、逆にお客さまから教えていただいたのだ。
こうして客室管理課で8年。その間、実に「180万人」ものお客さまをお迎えした。「客室清掃を通して、180万人のお客さまの思い出づくりに貢献できたんですね」と振り返り、中町はうれしそうに笑った。
客室の窓から眺める大阪の街
もてなす人の心が本当の価値
初めて丸いビルを見て驚いた女の子は、大きくなって丸いケーキの形のビルで働くことになった。総務や人事を担当する統括支配人の山本だ。
丸いビルに導かれ、ホテル業界に足を踏み入れた者もいる。安全管理課で警備を務める田中は、「大阪で有名なビルといえば大阪マルビルだ」と入社試験を受け、営業やフロントなどを歴任した。
2人のように、大阪マルビル・大阪第一ホテルはユニークな建物の形で多くの人々に親しまれてきたが、本質的な価値は「人によるもてなし」にある。
山本は、長期滞在されていた海外のお客さまから「ここは私の家のようだ。外出先にいても早く帰りたかった」と言われ、接遇に込めた心が通じているんだと喜びをかみしめた。
田中は、お客さまから「田中さんがいるから泊まりに来る」と言われた言葉が今も胸の中にある。人が好きで、いつもプラスαの対応を心がける田中は、長い社歴の中で多くのお客さまとご縁を結んだ。ホテルで優勝祝勝会をしたセ・リーグの選手からいただいたバットは、その象徴だろう。
そんな優秀な社員を表彰する催しを以前行っていたことがある。リピーターのお客さまの名前をしっかりと覚えている社員。お客さまの利便性を高めるシステムを導入した社員。すべてのベクトルは、お客さまのご満足や幸せに向かっている。たとえ建て替えで姿が変わっても、大阪マルビルは人々の記憶に刻まれ、思い出は未来へと受け継がれていくだろう。
「人・街・暮らし」に寄り添った46年間を誇りに、大阪・関西万博で、生まれ変わった新しいビルで、再び人々を迎えよう。思い出の景色から、未来の景色へ。ありがとう、また、ここでお会いしましょう。
テーブルには開業当時の写真
※掲載の情報は2022年12月時点のものです。