「アメリカを開拓せよ」
-アメリカ賃貸住宅事業プロジェクト-
大和ハウス工業が、アメリカで賃貸住宅事業をスタートさせた。目指すは全米展開。さあ、NEWチャレンジャーとして未来に挑もう。
歴史的な一歩を刻んだ日
2014年3月3日。この日は、大和ハウス工業がアメリカでの事業展開において歴史的な一歩を刻んだ日、として記憶されることだろう。
東京の米国大使館で、大和ハウス工業は、賃貸住宅の管理戸数全米2位のリンカーン社と業務提携する調印式に臨んでいた。これから米国の現地法人を通じ、リンカーン社と共同で賃貸住宅事業を本格的に展開する。戦いの火蓋が切られたのだ。
調印に至るまでの道のりには、一人のアメリカ人の貢献があった。アンドリュー・カミングス。現地法人ダイワハウステキサス(旧ダイワハウスカリフォルニア)のシニアプロジェクトマネージャーだ。
実は、大和ハウス工業の米国進出は1976年にさかのぼる。9年間にわたり約1万戸の分譲住宅を供給したが、事業は一旦、幕引きに。それから27年後の2011年、米国での再挑戦を誓い、カリフォルニアに現地法人が設立された。その戦力として新たに仲間に加わったのがアンドリューだ。
リンカーン社との業務提携調印式
もっと大きなビジネスを
アンドリューは大学卒業後、名門カリフォルニア大学バークレー校の生涯教育部門で景観設計を学ぶ。後に伴侶となる日本人女性に一目惚れし、付き合い始めたのもその頃だ。やがてアンドリューは、都市空間や造園空間を設計するランドスケープ・アーキテクト(景観設計家)として順調にキャリアを重ねていく。
設計の仕事が好きだった。やりがいも感じていた。しかし「もっと仕事の幅を広げたい。大きなビジネスがしたい。自分ならできる」とさらなる向上心も抱いていた。米国では複数のスキルを身に付けることが成功者の条件だ。
アンドリューは、アーティストの母に育てられ、幼い頃からクリエイティブの才能を開花させた。大学では論理的思考を鍛えるためにファイナンスや会計を学び、ランドスケープ・アーキテクトの学位に加え、経営管理学の学位も修得した。
ダイワハウステキサススタッフ
準備は万端だった。そんな時、ついに目の前にチャンスが訪れる。ダイワハウステキサスが北米市場で事業を拡大するために人財を探していることを耳にしたのだ。妻を通じて日本文化の良さを知り、彼女の出身地である北海道を何度か訪れたこともある。日系企業には自然と親近感が湧いた。
しかも、ダイワハウステキサスは米国ではNEWチャレンジャーだ。さまざまな業務に関わることができるだろう。
ダイワハウステキサスの社長である脇田は、人財に3つのスキルを求めていた。「建築とデザイン」「会計と金融」「日本文化」の知識と経験である。会社を立ち上げたばかりのダイワハウステキサスは、当面のビジネスモデルを投資中心に描いており、会計・金融の知識が必要不可欠だった。
アンドリューはまさに打って付けの人物だった。「僕たちと一緒に挑戦しましょう」。アンドリューは、幸運と挑戦する権利をつかんだ。
ノウハウを学ぶ機会
アンドリューたちの努力が実を結び、リンカーン社との業務提携が実現した。リンカーン社は、米国の都市200カ所以上、欧州10カ国で賃貸住宅や商業不動産事業を展開し、賃貸住宅では全米2位の管理戸数を誇る。
アンドリューは「彼らには開発事業における長い成功の歴史がある。大和ハウス工業に提供できる多くの知見も持っている。私たちは、物件開発の機会だけでなく、最高のパートナーからノウハウを学ぶ機会も得たのだ」と喜んだ。
ダイワハウステキサスでは、リンカーン社から賃貸住宅を購入する他、同社の不動産用地を取得して賃貸住宅を建設し、事業を展開している。
第1弾はテキサス州、敷地面積10万m2・716戸の「バークレープロジェクト」。第2弾は同州、敷地面積11万m2・582戸の「ウォーターズ・エッジ・プロジェクト」。どちらも広さは東京ドーム約2個分もある。第3弾はイリノイ州、31階建て373戸の「シカゴ・ノースクラーク・プロジェクト」だ。
いずれもターゲットは、高収入の専門職や大手企業の社員たち。彼らを惹きつけるために、豪華な住空間や共用施設はもちろんのこと、シリコンバレーや日本で生まれた新しい製品やデザイン、サービスを積極的に取り入れたいと考えている。
スマートフォンによる省エネルギーコントロール、ウェアラブル端末を使った健康管理、日本が世界に誇る温水洗浄暖房便座トイレ等々。「入居者の人たちは、我々をイノベーティブだと評価しているよ」とアンドリューは確かな手応えを感じている。
内装完成予想イメージ
リスクを恐れない
今後、ダイワハウステキサスは、賃貸住宅事業の全米展開を視野に入れている。ゆくゆくは物流倉庫や分譲住宅事業にも取り組む予定だ。成功をつかむまでには長い時間がかかるかもしれない。
だが、アンドリューは知っている。
「アメリカでは、リスクを避けるのではなく、リスクを恐れずにチャレンジしていくことが必要だ」。
そう、開拓者精神を持つ者だけが、新天地を築くことができるのだ。
シカゴ摩天楼
※掲載の情報は取材当時のものです。