灰になるまですべてが資源 徹底した循環型社会「江戸」
100万人が暮らした江戸の町は当時の世界最大の都市ですが、ほとんどゴミを出すことのない、徹底した循環型社会でした。
例えば着物を例にすると、江戸周辺の農村で養蚕して生産した絹糸や、綿花を育ててできた糸から織り上げた布が、買い付けられます。それを江戸の呉服屋が反物として販売し、仕立て屋によって着物となります。
着物は、いずれほどくことを前提として縫われるので、使われなくなり布に戻った着物は、サイズを変えてまた別の着物に仕立て直されたり、布団や敷物、また最後は雑巾になったりと、何度も再利用されたのです。
そして、何度も形を変えて利用された布は、最後に燃やして灰にします。灰も回収業者に引き取られ、肥料となり土に還ったのです。
植物の状態から灰になり土になるまで、全ての過程でそれぞれが“資源”として扱われ、商売として成り立っていたのも特徴です。江戸の循環型社会は、一つの家庭やコミュニティの範囲を超え、流通・消費を担う都市と、生産を担う江戸の周辺農村との関係によって成り立っていたのです。
着物を例にした循環型社会の流れ
モノを選び、使うときに “もったい”を意識した生活を
循環型社会のなかでもう一つ重要なのが、“手入れ”に敬意を払う気持ちです。使い続けられるなかで、補強のための縫い目や当て布がされた着物をまとうこともありました。
当時のモノを見ると、とても丁寧に縫われており、清潔にしていたことがわかります。壊れても壊れても、補修して使い続けていくことは、丁寧な暮らしをしている証なのです。その根底には、モノには“もったい=モノの価値”があるという精神が流れています。
“もったい”を大切にしていくことが江戸の文化。その価値を無視してしまうことが〝もったいない〞の語源ですね。
現代社会で私たちに何ができるかと言えば、“もったい”を大切にしていく精神でモノを選び、使うということです。使い捨てや、適当に買うという行為をやめて、自分が選ぶモノができた工程を知り、大切にすること。
“もったい”を知れば、使えなくなっても一つとして同じモノが無く、何か別の形で残したいという気持ちが自然に現れるもの。そのような“もったい”を意識することは、モノだけでなく、一人ひとりの個性を大切にした、多様性を認め合う世の中にもつながるのではないかと思います。