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【歴史散策】盛岡の大名南部氏は何者?

  • 更新日:2010年05月04日
  • カテゴリ:歴史


【南部氏始祖 南部光行公】

北東北の歴史には奥州藤原氏やアテルイなど蝦夷との闘争など
ありますが・・・興味がおもむくままに勉強してしまったので・・・
飛び飛びです。そして、歴史の写真はなかなか撮れず・・・という
事で写真もありませんが・・・という事で、ここ何回かは八幡平を
支配していた盛岡藩のお話です。

さて、盛岡藩は南部氏という大名が治めていましたが、これは豊
臣秀吉の小田原攻めの時に所領を安堵してもらった事にはじま
ります。どうやら南部藩は中央のその時々の天下人との繋がりが
濃いようです。

そもそも南部藩のおこりは1189年(文治5年)に南部光行が源頼
朝より陸奥国糠部郡を与えられたのが始まりです。

しかし、もともと南部姓ではないんですよ!加賀美氏だったようで
す。1180年(治承4年)の石橋山の戦いで戦功を上げた光行が頼
朝からもらった土地が甲斐国南部牧という事から「南部」という姓
になったようです。
石橋山の戦いとは平家を倒す為に頼朝が挙兵した時の戦ですが
この時は負けて洞窟に隠れていた所を梶原景時に見つかりなが
ら景時に助けられたエピソードで有名な戦いですね。

1190年(建久元年)には頼朝に従って上洛しているようで、その
後、現在の青森県三戸郡に三戸城を築城。南部氏が現在の盛岡
ではなく、最初は青森県から始まったのは地元の人でもあまり知
られていないかもしれませんね。

実際のところ南部光行は三戸どころか奥州にはほとんど赴かなか
ったそうですが・・・

ちなみに三戸や八戸・九戸など戸が付く町が岩手県と青森県の
県境に多くありますが・・・南部の殿様が9回オナラをした順番だと
いうもっともらしい?話もあり、関所だったという説もあり・・・
ちょっと不勉強ではありますが、お城というか政庁があった場所
という認識が良いのかな?とは思います。

ちなみに光行の息子達は
長男=一戸氏 次男=本家 三男=八戸氏 四男=七戸氏 五
男=四戸氏 六男=九戸氏と本家以外が全て戸が付いてますね。
「戸」は「へ」と呼びますが、ゆくゆく南部藩の支藩だったり重役職
についていく事になるようです。

お気づきでしょうか?長男は家督を継いでいませんが・・・
これは庶子だった為だそうです。

南部光行自身のエピソードは時代も時代ですし、この当時メジャ
ーな存在でもなかったのでしょう。私が調べた範囲ではあまりあ
りません。
南部氏に関しては盛岡の中央公民館や岩手県立博物館などに
資料などがあるのだろうと思っていますが、光行の代は青森が拠
点なので、詳しく知る為には三戸に行ってみるのも良いかもしれ
ませんね。

=TAKE= 

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