年表で見る佃島エリアの歴史
佃エリアの歴史は古く、その始まりは1590年の徳川家康の江戸入府にまで遡ります。佃は、もともとは石川島と佃という二つの地域から形成されていましたが、1872年の町名改正により石川島は佃に統合されました。東京の発展に歩を合わせるように育まれてきた佃の歴史は、明治期に入って埋立を開始した周辺のエリアとは一線を画していると言えます。
そこで「佃について、あ~だこ~だ言ってみよう会議」では佃の歴史を探りながら、その長い歳月の中で育まれた様々なステキを見つけ出していきます。
- 1590年:
- 摂津国佃村(現:大阪市西淀川区佃)の漁師33人が江戸へ移住
- 1626年:
- 鉄砲洲向島(隅田川河口の半陸地)を拝領した石川政次八左衛門が石川島(現:佃二丁目)を造成
- 1644年:
- 摂津国より移り住んでいた漁師たちが鉄砲洲東側の干潟を拝領。
四方を埋め立て陸地として造成し、故郷にちなんだ佃島(現:佃一丁目)を命名 - 1645年:
- 佃の渡し船が始まる
- 1646年:
- 大阪の住吉神社の分祀として住吉神社創建
- 1790年:
- 石川島の石川氏屋敷東南に自然にできた半陸地を埋立
- 1808年:
- 佃東方の沼地を埋立
- 1853年:
- 黒船来航を受け、水戸藩が石川島に造船所を創設
- 1872年:
- 石川島が佃島に合併
- 1887年:
- 東京湾澪凌渫事業により埋立施工開始
- 1892年:
- 東京湾澪凌渫事業により月島一号地
(現:月島1~4丁目)埋立完了 - 1894年:
- 東京湾澪凌渫事業により月島二号地
(現:勝どき1~4丁目)埋立完了 - 1896年:
- 東京湾澪凌渫事業により新佃島
(現:佃2~3丁目)埋立完了 - 1913年:
- 東京湾澪凌渫事業により月島三号地
(現:勝どき5・6丁目)埋立完了 - 1931年:
- 東京湾澪凌渫事業により月島四号地
(現:晴海1~5丁目)埋立完了 - 1964年:
- 佃大橋完成。これにより佃の渡しが廃止。晴海ふ頭完成
- 1978年:
- 石川島造船所の閉鎖に伴い、跡地を利用した「大川端地区再開発」が推進
- 1986年:
- 大川端リバーシティ21の建設開始。これに伴い佃公園にスーパー堤防を整備
- 1988年:
- 東京メトロ有楽町線「月島」駅開業
- 2000年:
- 都営地下鉄大江戸線「月島」駅開業
(掲載の情報は2015年9月時点のものです。)