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益田市、津和野町

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SLOWNER WEB MAGAZINE

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自然・風土

歴史の足跡を訪ねて、山陰のあの町へ

ロイヤルシティ芸北聖湖畔リゾート/2024.07.30

益田市、津和野町

ロイヤルシティ芸北聖湖畔リゾートがある広島県の芸北エリアは、島根県との県境に広がっています。標高1,000mを超える山々で構成された中国山地を広島県側から縦断し、車で進むことおよそ2時間。島根県の西端、島根県益田市にたどり着きます。日本海に面し、山口県や広島県とも接している益田市は、古くから山陰と山陽を結ぶ交通の要衝地。芸北エリアでも見られますが、益田の町には、石見地方の特産品、赤茶色の石州瓦を屋根にした家々が立ち並ぶ、独特の風景が広がっています。

芸術ファンだけでなく、建築ファンからも熱い視線が注がれている島根県芸術文化センター グラントワ

この石州瓦を、屋根だけでなく壁にも全面に張り巡らせた大胆なデザインの建物が「島根県芸術文化センター グラントワ」です。全国でも珍しく美術館と劇場が一体になった文化施設で、屋根に約12万枚、壁に約16万枚の石州瓦が覆っています。瓦の原料、来待石(きまちいし)特有のガラス質の表面は、光の角度でさまざまな表情を見せ、青空が広がる日には薄いブルーに、夕暮れ時にはわずかに緑色に見えたり、金色に見えることもあるとか。空と建物を映す中庭の大きな水盤も、文化拠点としての風格を感じさせます。

(写真左)小浜海岸の岩礁に鎮座する衣毘須神社(えびすじんじゃ)
(写真右)高津柿本神社の楼門。入母屋造の本殿は県指定有形文化財

海や山城跡から、人々を見守り続ける古刹

国道191号線沿いには、日本海に向けて遠浅の海岸が広がっています。小浜海岸の岩礁、宮ヶ島には「衣毘須神社(えびすじんじゃ)」が鎮座。豊漁と海の安全守護の神、事代主之命(ことしろぬしのみこと)が美保神社から分霊され、この地には1867年(慶応3年)に遷宮。潮の満ち引きによって姿を変え、干潮で風の穏やかな日などには砂浜を通って参拝できることから、「山陰のモンサンミッシェル」と呼ばれています。また、益田は飛鳥時代の歌人、柿本人麻呂ゆかりの地。「高津柿本神社」は、人麻呂没後まもない神亀年間(724~729年)に終焉の地といわれる鴨島に建てられた後、1681年(天和元年)に津和野藩主 亀井茲親(これちか)が高津城跡に移築。津和野城から参拝できるように、拝殿は津和野の方角を向いています。 

津和野の町といえば、鯉が泳ぐ掘割(水路)がある殿町通り。津和野城主だった坂崎直盛が、良質の水に恵まれた土地柄を生かし、防火用水として整備した

伝統が今も町に溶け込む、山陰の小京都・津和野

地域の歴史的魅力や特色を通じて日本の文化・伝統を語るストーリーを、文化庁は「日本遺産(Japan Heritage)」として認定しています。益田市の隣、津和野町は「津和野今昔〜百景図を歩く」というストーリーで日本遺産に認定。約160年前、藩主の御数寄屋番(おすきやばん)・栗本格斎が幕末を生きる市井の人々の暮らしや文化をまとめた「津和野百景図」が今も残っています。この百景図を手本にして、町並みや伝統行事、自然景観を守り伝えてきた「津和野の人々の暮らしそのものが遺産」として認められました。現在との様子を対比させながら、往時の息吹が体験できる希少な城下町、それが津和野の町です。

古くからの商家が軒を連ねる本町通り。広く、まっすぐな通りに石畳が続く

津和野の中心部にある殿町通りは、通りに沿って続く白い土塀と掘割が印象的で、掘割をのぞくと色とりどりの鯉が訪れる人の目を楽しませてくれます。江戸期には、続く本町通りとの間に総門があり、殿町通りは武家の地、本町通りは町人の地に分けられていました。本町通りは江戸時代から変わらぬ道幅で、今も明治初期の造り酒屋や、大正から昭和にかけてつくられた長屋造りの建物が居宅や店舗として使われています。

(写真左上、右上)石見神楽で使われる、絢爛豪華な衣裳と神楽面
(写真下)木でできた鷺舞の装束は頭3kg、39枚の羽根が約12kgもある。いずれも本町通りの津和野町日本遺産センターに展示されている

神の鎮魂のために、曲に合わせて舞う神事である神楽(かぐら)。石見地方で行われる「石見神楽」は、花形の「大蛇(おろち)」をはじめ演目は30以上あり、六調子や八調子のリズムやきらびやかな衣装が独特です。津和野には他にも、約450年の間伝承される「鷺舞」があります。京都発祥でありながら、現在まで奉納され続ける唯一の鷺舞で、国の重要無形民族文化財に指定され、ユネスコ無形文化遺産にも認定。舞方、囃子方、唄方らで構成され、2名の鷺舞役者が真っ白な羽根を広げるなどの所作を繰り返すと、ヒノキでつくった羽根の音が町に響きます。毎年7月20日に町内11カ所、27日に9カ所で奉納される津和野の夏の風物詩です。

(写真左)153人の信徒を受け入れた乙女峠マリア聖堂。当初津和野藩は、説諭による改宗を勧めていたが、過酷な拷問に方向転換。37人が命を落とした
(写真右)津和野の町からも、鮮やかな朱塗りの社殿が見える太皷谷稲成神社。1773年(安永2年)創建

城山の中腹から、町を見守るように建てられているのは、日本五大稲荷のひとつ「太皷谷稲成神社(たいこだにいなりじんじゃ)です。「稲荷」ではなく「稲成」と表記されるのは、願望成就・大願成就の意味を込めてのこと。約1,000本続く朱色の鳥居を抜け、境内から見る津和野の町は、まるで箱庭のようです。春には桜の名所となる乙女峠には「乙女峠 マリア聖堂」がたたずんでいます。ここは長崎・浦上から送られてきた信徒の殉教地。毎年5月には荘厳な野外ミサが行われ、殿町通りの津和野カトリック教会から聖母マリア像を中心に信者の巡礼の行列が続きます。

霊亀山(れいきさん)上にあった山城 津和野城跡。1875年(明治8年)に建物が解体されたが、今日でも城下町を見下ろすことができる

島根県芸術文化センター グラントワ[現地から約44.1km]/衣毘須神社[現地から約55.9km]
高津柿本神社[現地から約48.1km]/美保神社[現地から約195km]
高津城跡[現地から約63km]/津和野城跡[現地から約66.5km]
津和野町殿町通り・本町通り[現地から約65.4km]/津和野町日本遺産センター[現地から約64.9km]
太皷谷稲成神社[現地から約66.8km]/乙女峠マリア聖堂[現地から約65.3km]
津和野カトリック教会[現地から約65.4km]

取材撮影/2024年5月21日~5月23日

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