薩摩金山蔵/濵田酒造
食・趣味・娯楽
ロイヤルシティ霧島妙見台/2024.03.15
鹿児島本土の西に広がるいちき串木野市は、古来より金鉱山とマグロ遠洋漁業の町として栄えてきました。特に、串木野金山の収益は薩摩藩の財源として大いに役立ち、のちに明治維新をけん引する重要な財源にもなりました。大正時代には全国4位の採掘量を誇り、現在も一部で金の製錬は続いています。いちき串木野市で、1868年(明治元年)創業の濵田酒造は、その串木野金山の坑洞内に焼酎蔵を構え、『薩摩金山蔵』として、明治以前の焼酎造りをコンセプトに掲げています。
いちき串木野市の中心部から、程近い山手にある『薩摩金山蔵』
いちき串木野市は、県内で2番目に蔵元が多いエリア。2013年(平成25年)には全国初の『いちき串木野市本格焼酎による乾杯を推進する条例』が制定されるなど、自治体としても焼酎文化の普及と継承を盛り上げています。濵田酒造は、伝統・革新・継承とそれぞれのコンセプトをもった3つの蔵で焼酎造りを行っています。なかでも『薩摩金山蔵』は、薩摩の歴史と本格焼酎の文化を後世に語り継いでいく『継承の蔵』として、2005年(平成17年)に誕生しました。
(写真左)山の雰囲気に溶け込む『薩摩金山蔵』の館内
(写真右)杜氏の東條健太さん。金山蔵には4人の造り手が在籍。焼酎造りのほか、鹿児島で40年ぶりに復活した清酒も手掛けている
『薩摩金山蔵』では、350年以上にわたって掘り続けられた坑洞を使って、焼酎の仕込みから貯蔵・熟成まで行われています。製法も、江戸時代に使われていたカブト釜式蒸留器をつくるところからこだわり、麹も幻と呼ばれた金山蔵独自の『黄金麹』を使用。製法は大正時代以前に、家庭での焼酎造りに用いられていた『どんぶり仕込み』を踏襲しています。
(写真左)世界三大酒類コンテストのひとつといわれるSFWSC2023で最高金賞を受賞した『薩摩焼酎 金山蔵』
(写真右上/右下)薩摩金山蔵ブランドの焼酎や清酒のほか、オリジナルの塩麹、いちき串木野市の特産品が並ぶ
『薩摩金山蔵』で用いられる仕込みの手法は、通常は腐敗を招きやすいものだといいます。特に、仕込み甕(かめ)に原料を加えるところ、麹、主原料、酵母、水を一度に入れる『どんぶり仕込み』という製法は、どんぶり勘定からその名がついた昔ながらの製法です。坑洞内は年間を通して、気温が一定に保たれており、紫外線の影響も受けないため、焼酎の貯蔵・熟成に適しています。こうして造られる焼酎は『薩摩焼酎 金山蔵』『熟成と共に福来たり』などのスペシャルな一本。鹿児島弁で「こいごいした」と表現するほど、香りも味わいも濃厚に仕上がります。
造り手たちも利用するトロッコ列車で金山の坑洞の中へ。掘削跡が残る壁面を間近に見ながら、トロッコはゆっくり進む。見学は土日祝日の1日2回(詳細はホームページをご確認ください)
『薩摩金山蔵』のもうひとつの楽しみは、トロッコ列車で向かう坑洞見学です。坑洞内の奥へ進むほど風はひんやり。鹿児島弁のやわらかなアナウンスを聞きながら、ゆっくりと見学エリアに到着します。高低差約400mの間を16層に分けていた串木野金山の中で、焼酎の仕込み蔵・貯蔵スペースは海抜167m地点の2番坑。掘進機や巻上機、鉱石運搬列車など当時活躍した大型機械と、焼酎の大きな貯蔵甕が同じ空間に並ぶ独特の光景が広がっています。
蔵人案内人の田渕明さん。鹿児島の金山の歩みから、金山蔵で行われる仕込みのことまで、わかりやすい語りが人気
坑洞の奥に進むと、設置されている棚いっぱいに焼酎のボトルが保管されています。これは本格芋焼酎『熟成と共に福来たり』を購入した人のボトルで、最長5年間、さらに希望があれば有料で期間延長して熟成保管してもらえます。自分への贈り物として、あるいは家族の節目の記念日としてなど、瓶のラベルに手書きされてあるのは未来の日付けとメッセージ。晩酌して疲れを癒やし、ねぎらうことを、鹿児島の方言で「だいやめ」といいますが、さまざまな想いを託された一本一本が、だいやめの日を静かに待っています。
(写真左)仕込みの様子をガラス越しに見学できる
(写真右)本格芋焼酎『熟成と共に福来たり』の保管スペース