鍛冶工房弘光
文化・歴史
ロイヤルシティ大山リゾート/2023.07.31
ロイヤルシティ大山リゾートがある鳥取県伯耆町(ほうきちょう)から北西に位置する島根県安来市(やすぎし)は、古くから「たたら製鉄」で栄えた町です。たたらとは、炉に空気を送り込む足踏み式の送風器のことで、原料の砂鉄と木炭を炉にいれ、空気を送って燃焼させる方法で鉄が生産されていました。山陽地方で盛んだった製鉄は、11世紀以降に山陰地方に生産地が移り、江戸後期から明治にわたる最盛期には、全国の約8割の鉄が中国山地周辺で生産されていたといいます。
奥出雲から日本海につながる『鉄の街道』の中継地点、安来。この安来で、江戸時代から鉄の素材の玉鋼(たまはがね)をつくる村下(むらげ)という役割を担ってきたのが、刀匠 雲州弘光です。現在は10代目の小藤(ことう)洋也さんと11代目の小藤宗相(しゅうすけ)さんが、『鍛冶工房弘光』として鉄の街道唯一の鍛冶屋を守っています。
できるだけ機械を使わず、いちから手で成形するのが雲州弘光。その精神は今も受け継がれ、接合部分も溶接に頼らず、たたいて留めていく『かしめ留め』という方法を踏襲。量産ができない反面、固定金具の正確な寸法や、髪の毛ほどの細工の緻密さに宿る品の良さが際立ちます。
(写真左)地元産の木炭で火をおこし、国産の鉄を叩き、山から引いた水で鉄を冷やす。鉄をつくる作業は、循環型の作業
(写真右)つくるものに合わせて、まず道具をつくるところから始める鍛冶仕事。分業ではなく、設計から仕上げまでひとりで担当する
刀匠でありながら、時代に合わせた作品を手掛けている父、洋也さんとともに、その技と心を受け継いでいるのが、宗相さんと柘植由貴さんの兄妹です。宗相さんの新作は、ひとつひとつ打ち鍛えてつくった鉄のフライパン『鍛月(たんげつ)』。太い鉄を女性でも片手で持ちやすい軽さと細さにまで打ちたたき、持ち手には、片手で上げ下げしやすい緩やかなカーブをつけ、その端には刀の柄(持ち手)からヒントを得た意匠が施されています。ステーキも目玉焼きも適度に火が通り、余熱が長く持続するので、食べ終わるまでずっと温かいのも特長です。由貴さんがつくる燭台は、水に浮かべて使うフローティングキャンドルから着想したもの。受け皿の下にもまんべんなく光が広がるように文様を彫り、幻想的な光と陰を演出します。
洋也さんが複製した、江戸時代の燭台。刀匠としての腕と感性で、細部にまでしなやかさを宿らせた
明治時代に入り、たたら製鉄が衰退してから、弘光も長く苦労を強いられたといいます。転機は1976年(昭和51年)。あかりのコレクター瀧澤寛氏の著書『灯火器百種百話』(矢来書院)の新聞広告を見た洋也さんは、掲載されていた燭台に衝撃を受け、夜行列車で著者の元に向かいました。江戸時代につくられたその燭台は、瀧澤氏が著書の中で『格調といい、線の美しさといい、神経のゆき届いた名品』とふれているもの。瀧澤氏にレプリカ作成の承諾を得た洋也さんは、全国の博物館を巡って燭台を研究し、日本刀の峰に表す鎬(しのぎ)のたたきを意匠に用いるなど、その一台に刀匠の技を込めました。「いつか、わかってもらえれば」との思いを秘めてつくった燭台は、バブル期を過ぎた頃、あるバイヤーの目に留まり、それがきっかけで弘光の技術は、国内外の目利きから注目されるようになりました。
風鈴や燭台、花器や灯籠など、日本刀鍛造の技法を用いたモダンなデザインの鉄製品の数々。弘光の作品は、全国で行われる展示会で見られるほか、催事期間以外は工房で展示販売中
パリで開催されるプロダクトの最高峰の展示会『メゾン・エ・オブジェ』にも出展するなど、国内外から注目を集める鍛冶工房弘光。築120年を超える作業場には、川のせせらぎと鉄をたたく音が響きます。これまでを振り返り「人とのつながりがあったから、作品が残せています」と語る宗相さんは、革職人やたわし職人など、他分野の若手職人とつながりながら、今のライフスタイルに馴染む、新しい鉄製品を手掛けています。「鉄はずっと残るもの。だからこそ、最後まで手を抜かずにきちっと、品の良いものに仕上げていきたいです」。昔ながらの鍛冶技術でつくられる鍛冶工房弘光の作品は、現代の生活に不思議なぬくもりをもたらします。
「鍛冶工房弘光」を守る小藤さんご一家。 (写真右)後列左から父洋也さん、宗相さん、母睦子さん、前列左からスタッフの三宅大樹さんと、妹の柘植由貴さん。愛猫のみーちゃんも。「鍛冶工房弘光」がある通りは、鉄の神様を祀る金屋子神社に続く街道の宿場町だった。「安来まで足を延ばしてもらって、作品の背景をゆっくり感じてもらえたらうれしいです」(宗相さん)