ホームスパン/みちのくあかね会
文化・歴史
ロイヤルシティ八幡平リゾート/2023.03.24
経年変化を楽しめる、手仕事の品の良さが見直されています。岩手県盛岡市周辺の伝統産業として継承されている「ホームスパン(homespun)」は、羊毛を手染めし、手で糸を紡ぐところからすべて手仕事で行われる手織りの毛織物。「家(HOME)で紡いだ(SPUN)」がその名の発祥といわれ、飽きのこないヘリンボーンの織柄と、軽くてもしっかりと暖かい風合いで人気の最高級品です。ヨーロッパでは、寒さの厳しい地域の農民や漁師の防寒着として好まれた織物で、日本には明治時代にイギリスからその技術が渡ってきました。盛岡周辺には、岩手県北部に在任していたイギリス人宣教師によって、その織り方が教えられ、農家の副業として普及したと伝わっています。
(写真左)染めも紡ぎも手作業で仕立てられた毛糸。これまでにつくられた毛糸の多くは保存されており、色づくりの参考にしている
(写真右)所狭しと織り機が並ぶ作業場
気の遠くなるような作業を積み重ねながらつくられるホームスパンは、実直と評される岩手県の人々の県民性と合っていたのでしょうか。岩手県では年間27,000mものホームスパンが生産され、全国の生産額の約8割を占めています。盛岡市を拠点とするホームスパンの製造会社「みちのくあかね会」は、戦後、夫を失った女性が生活の糧を生み出すための授産施設として始まりました。1958年(昭和33年)、簿記や工芸(ホームスパン)などの技術が習得できる今でいう職業訓練校『盛岡婦人共同作業場』が発足され、そこで製造されたホームスパン製品を販売するために株式会社化されました。
発足から60年を超える現在も、羊毛の種類を選ぶところから始まる細やかな作業が、分業制の手仕事で行われています。羊毛の原毛を染料で染め、毛の固まりを手でほぐす「解毛(かいもう)」、繊維をそろえながら混色も行う「カーディング」を経て、ここでさまざまな太さに毛をよりながら、糸を紡ぎます。一本一本の糸が「平面」になるのはここからです。必要な本数と長さに整えて、織地の土台となる経糸(たていと)を巻いていく「整経」は、糸の順番を間違えてはいけないデザインを決める大事な作業で、職人さんも一番神経を使うとか。経糸を織機にセットしてから、ようやくシャトルを使って緯糸(よこいと)を組み合わせて布を織っていきます。
(写真左)作業場に併設されたショップ (写真右)ユニセックスで使えるヘリンボーン柄のストール
みちのくあかね会でつくられるホームスパンは、大判のストールからコンパクトに丸めやすい幅16cmほどのマフラーなど、ネックウェアだけでもさまざまなバリエーションを揃え、ジャケットやコートなどもつくられています。糸一本や端切れも無駄なく使われ、ピンクッションやブローチ、オーナメントなどの小物雑貨も、しっかりとした風合いです。実際にマフラーを巻いてみると思ったより織目が細かく、すぐに暖かさを感じます。しかも、身につけているのに重さを感じさせないほど軽いことにも驚きです。完成するまで数カ月を要するホームスパンは、色褪せないデザイン性も相まって、母から子、そして孫へと、三代にわたって愛用する人も少なくありません。
ちなみに、みちのくあかね会では昔も今も完全出来高制。愛着の一品との出会いが、職人へのエールにつながります。
(写真左)創設当時から使ってきた看板もお引っ越し (写真右上)作業場は、酒造会社「あさ開」の地酒物産館に隣接 (写真右下)羊毛を使ってつくったヒツジのぬいぐるみ
2022年(令和4年)に、クラウドファンディングを利用して移転した現在の作業場は、もともと酒造会社が経営するレストランでした。木がふんだんに使われた内観に、長年大切に使われている織機や紡糸機、棚などの家具がよく馴染んで、穏やかな雰囲気に包まれています。「クラウドファンディングには、九州や関西など、全国から100人近くの方々が協力していただきました」と語るのは、織り手兼事務方の中村美穂さん。「作業だけをしているときは意識していませんでしたが、こうして応援してくれる人が全国にいることが実感できました。これからもより良いものをお届けできるといいなと思っています」
織物に憧れ、6年前からみちのくあかね会の織り手となった中村美穂さんは、「年を重ねてから、職人として織りに専念するのが楽しみ」と語る。「若い人がホームスパン一本で生計を立てられるような仕組みをつくって、しっかりと継承していけるようにしたいです」