亀谷窯業
文化・歴史
ロイヤルシティ芸北聖湖畔リゾート/2023.02.22
ロイヤルシティ芸北聖湖畔(げいほくひじりこはん)リゾートが位置する広島県北広島町をはじめ、広島県北部や山陰地方の町並みを見ていると、独特の赤茶色の屋根が連なっています。この瓦は島根県石見(いわみ)地方でつくられている『石州瓦(せきしゅうがわら)』で、愛知県三河地方の『三州瓦』、兵庫県淡路島の『淡路瓦』に並ぶ日本三大瓦のひとつです。
石州瓦は、石見の都野津(つのづ)層の土を原料に、出雲地方でとれる来待石(きまちいし)からなる釉薬(ゆうやく)を塗ってつくられるもので、赤茶色は高温で焼いて生み出される来待釉薬の色です。石見焼をルーツに持つ石州瓦は、1,200度以上という非常に高温で焼き上げることも特徴のひとつ。山間部は雪深く、日本海に面した町は荒波にさらされる、この地域にふさわしい非常に優れた耐性を備えた瓦です。
(写真左)以前は登り窯で焼成された石州瓦。現在は、シャトル窯で焼成されている
(写真右)左右非対称の瓦は、お互いが干渉しあう形状となっている
1806年(文化3年)創業の亀谷窯業は、今では浜田市で1軒となった石州瓦製造会社です。「来待をやめるなら瓦屋をやめる」と代々受け継がれる言葉があるように、来待石の釉薬にこだわり続けるのも今ではここだけといいます。
先代たちの考えを軸に、代々の職人以上のものづくりを目指す同社。一番重要な土づくりでは、7~8カ所の山から掘り出した土から手作業で石や屑を取り除いてブレンドし、3段階に分けて、土の目を徐々に細かくしていきます。そこに水を混ぜてできた粘土を、50年以上使い続けている真空プレス機に入れて瓦型に成形。それを約ひと月かけて自然乾燥させた後、釉薬を手掛けし、再び乾燥させ、焼成していきます。石州瓦の焼成温度は1,200度から1,300度が標準ですが、亀谷窯業では最後の2時間強は連続して1,350度での焼成が基本。来待石釉薬のあの色も、この高温焼成でなければ表現できないといいます。
(写真左)プレスした瓦に手作業で施される「鳥休み」と呼ばれる装飾。鬼瓦の上に取り付けられる
(写真右)石州瓦と同じ製法でつくられるオリジナルの瓦食器。手掛けるのはベテランの瓦職人たち
シャトル窯の中で、場所によって温度差が出ないように酸素を送り、窯の中の温度を調整。火の色が無色なら1,300度に達している証拠です。同社9代目の亀谷典生さんが「瓦の粘土や釉薬に含まれる酸化鉄(FeO)を鉄(Fe)になるまで、しっかりと焼き締めます」と語るように、高温で焼き締めることで凍害にも塩害にも負けない強さと美しさを持つ石州瓦ができあがります。
今の瓦は平板なものがスタンダードですが、亀谷窯業でつくられる瓦は昔ながらの和型のみ。瓦にも軽さが求められる中で、一枚でもずっしりと重みがあるのは、木造軸組構法の安全性をもたらす『太い柱』『強靭な骨組』『重みのある瓦』のバランスを考えてのこと。「屋根がダメだと、家が全部ダメになる」という先代の言葉が生きています。
(写真左上/右上)瓦食器、土鍋(直火用耐熱瓦)
(写真左下/右下)家紋のペーパー ウェイト、鬼師が手がける鬼瓦。すべて手作業なので、いろんなリクエストに応えられる。使い手の声を聞きながらより良いものづくりを目指している
地元では当たり前の光景となっている石州瓦の町並みですが、当たり前すぎるがゆえに、石州瓦の良さが現代の人々に伝わっていないと亀谷さんは言います。そこで近年は、石州瓦の材料や製法、技術を用いて直火で使える器や土鍋、耐久性の高いタイルづくりなどにも着手。研究開発に3年費やした土鍋は、漏れ止めをせずに使い続けることができ、大手リゾートホテルや料理店でも採用されています。また、ザ・リッツ・カールトン東京では同社の棒タイルが壁に施工され、デンマークやオーストラリアにもタイルの輸出が始まっています。
(写真左)約80年前に亀谷窯業の瓦が葺かれた長澤神社の屋根
(写真右)さまざまな瓦が積み置かれている亀谷窯業の敷地。写真は鬼瓦の一種、須山隅鬼。屋根の紋様にも一家の繁栄が願われている
亀谷窯業では、山陰地方に残る伝統的建造物の改修や復元も手掛けています。状態が良ければ、当時の瓦を降ろして洗い直して葺き直すほか、登り窯で焼いていた当時の風合いを表現するために、釉薬の調合で光沢を抑え、錆を帯びているような渋い風合いを出した「サビ瓦」を製造。このサビ瓦は歴史的な建物だけでなく、古民家風の新築にも好んで使われています。
石州瓦は一度葺けば、次の代までその鮮やかな風合いのまま残ります。同社近くの長澤神社では、80年ほど前につくられた亀谷窯業の瓦が今も健在。遠く北海道江差町の北海道本願寺派江差別院庫裏でも、1880年(明治13年)に北前船で運ばれた亀谷の瓦が生きているといいます。
代表取締役社長の亀谷典生さんは9代目。昔ならご法度だった淡路瓦とのコラボレーションなど、広く日本の瓦の良さに注目してもらうために、前例にない取り組みにも積極的にチャレンジしています。「なぜこの土を? なぜこの形を?そこを考えながら先代、祖先以上のものをつくらないと復元ではないと思っています。その時につくった人たちがなにを考え、どういうふうにつくったのかということまで考えていかないと「なんちゃって」で終わってしまう。赤い屋根の風景を残そう、ではなく、強くて頑丈な、良いものを次の世代に残すのが、私たちがやるべきことだと思っています」