染工芸 形幸 (かたこう)
文化・歴史
ロイヤルシティ猪苗代ヒルズ/2022.09.28
福島県の中部にあたる、福島県中通り。須賀川市で、100年以上にわたり『江戸小紋』を染めている工房があります。『江戸小紋』は柄が非常に小さく、一見無地のように見える技法のことで、広く普及したのは江戸時代初期。武士の礼装である裃(かみしも)が由来といわれています。参勤交代で江戸に集まる武士たちは自分の藩を示す「定め柄」を裃に用いていましたが、幕府の令によって派手な裃を禁止されたことから、武士たちは競い合うように微細な柄を求めるようになり、江戸小紋の技法が確立していきました。 鮫の皮のような半円形を重ねた『鮫小紋』、点の縦横が直角に交差し、等間隔に並べられた『通し小紋』、点の並びが斜めに交差してある『行儀小紋』の柄は、『江戸小紋三役』といわれる代表的な柄。柄や色の合わせ方次第で、シーンを選ばず着回すことができるため、改まった行事にも、街着にも使える着物として根強い人気を誇ります。
(写真左)形幸三代目の染師、渡辺幸典さん(右)と、息子で四代目の泰幸さん。幸典さんは、長年にわたる仕事ぶりが評価され、「福島の名工」にも選ばれている (写真右)明治時代から使われている「型付け」の作業場
現在、江戸小紋を手掛ける工房のほとんどが機械染めで、しかも分業制で行われていますが、『形幸(かたこう)』は、創業以来手染めを守り、仕上げの『干し』まで一貫して行う、須賀川市唯一の工房です。「(手染め、一貫作業という)どこもしていないことをしてきたから、今も続けられているんだと思います」そう語るのは、形幸三代目の染師、渡辺幸典さんと、息子で四代目の泰幸さんです。
江戸小紋の染めには、柿渋を塗り貼り合わせた和紙に細かい柄が彫られた『伊勢型紙』が使われます。
白い絹地に型紙をのせ、白地を生かすところに無地の糊を塗り、その上から版画のように、色のついた糊を重ねて柄をつけます。『型付け』といわれるこの工程の後は、型紙の上に色糊をのせ、均等な力で生地全体に塗り付ける『染め』の作業です。一反およそ13mの生地に、型紙は約30~40cm。少しずつ型付けしては型紙をはずし、模様の継ぎ目に合わせて、再び型紙をのせ、糊を塗る。まるで一度に染めたかのように柄が途切れることなく仕上げるのが、染師の腕の見せどころ。柄の継ぎ目を直すのも、糊をつけた細い針で生地に点をつけながら、微調整していきます。緊張感が続く作業を繰り返した後、生地に色を定着させる『蒸し』、『水洗い』、『外干し』と作業が続き、一枚の小紋が完成します。
(写真左上/右上)鮫小紋などを彫った伊勢型紙。数百枚ある型紙から染める柄を選ぶのも、染師の感性が問われるという (写真左下/右下)複数の色を染めた他にない小紋
形幸の江戸小紋は、須賀川市のお店と、形幸の技に信頼を寄せ、80年以上取引がある東京の呉服問屋でしかお目にかかれません。TVや雑誌に登場する江戸小紋に形幸の名前は出てきませんが、その緻密さと美しさから、形幸さんにたどり着く着物通の方もいるとか。「柄が緻密すぎるので、(作業工程を見られるまで)手作業だと信じてもらえないんです」と苦笑いを浮かべる渡辺さん親子。それでも、型紙の文様をもっと細かく見えるように、今も試行錯誤を続けているといいます。
(写真左)型付け作業をする息子の泰幸さん。「同じ柄なので地味ですけど、ごまかしはきかないんです」
(写真右)型付けした後、色の濃淡や型のズレを、針で点描のように調整する
『どこもしていないこと』をする。形幸の精神は、違う形でも続いています。江戸小紋は通常、単色で染めるものですが、複数色を重ねる小紋をつくっているのも、渡辺さんと兄弟弟子のみ。一反にも及ぶ生地に、1ミリ以下の点描を、しかも何度も色を重ねる…。呼吸を忘れるような工程が続きますが、手仕事を続ける渡辺さんたちにしか生み出せない貴重な小紋が仕上がります。他にも、金糸などで織った寿光織(じゅこうおり)に江戸小紋を染めたり、反物の裏表に染めを行ったりと、今も新たな挑戦が続いています。
四代目の泰幸さんも、同じ福島の伝統工芸品『会津木綿』の職人とコラボレーションし、会津木綿ストールの染めを行ったり、沖縄で紅型(びんがた)の染師と交流を図ったりと、全国の若手職人とのつながりを積極的に行っています。渡辺さんたちが受け継ぐ『どこもしていないこと』をする精神、そして柔軟に新しいことに挑戦する気持ちが、江戸小紋だけでなく、日本の伝統文化の継承につながっていきます。
取材撮影/2022年08月02日
染工芸 形幸 (かたこう)[現地から約58.9㎞~59.3㎞]