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全区画温泉付!霧島連山の麓でゆったり暮らす。温泉つきスローライフを楽しむ。
「山ヶ野金山」は、霧島市とさつま町の境界付近にあった金鉱山です。 「山ヶ野金山」の歴史は、寛永17年(1640年)宮之城領主・島津久通が夢のお告げによって発見したことに始まります。最も多いときで約2万人にも及ぶ鉱夫が働き、当時は佐渡金山をも凌ぐ日本最大の産出量を誇りました。あまりの産出量の多さに幕府から採掘の停止を命じられるほどでした。 江戸時代を通じて藩の重要産業であり、明治時代に入るとフランス人技師ポール・オジエらによる鉱山の精錬所を建設し近代化が行われました。明治40年には隼人町の水天淵に金山専用の発電所が建設されるなど産金量の拡大が図られ、昭和18年に休山となるまで産出された金は約80トン。現在も稼動し ている菱刈鉱山、佐渡金山に継ぐ産出量だそうです。 この時代、江戸の人口は約50万人。こんな狭い山ヶ野に2万人もの人々が生活していたとは…。 御座所は島津藩主が来山の折、利用された屋敷です。御座所の床は石で囲まれて、賊の侵入を防いだといいます。明治の頃までは、立派な正門と黒塗りの西門が残っていたそうです。イヌマキの大木が当時の名残として、今も里を見守っています。現在は「山ヶ野ふれあい館」になっていて、当時の資料などを見ることができます。 この下の地域は御座下といわれており、商店が軒をつらね賑わった、さながら商業のメインストリートといったところでしょうか。 御座所すぐ東側に金山奉行所跡がありさらにその先には山先役宅跡があります。山先役とは、庄屋のように村人と役人との仲を取次ぐ役割だったそうです。金山坑入口跡のまわりには綺麗に積まれた石垣が無数にあり、竹林に囲まれて日もあまり当たらない山深いところでありながら集落の存在を残していました。
関所、奉行所、御仮屋、牢屋といった跡地や歴史を感じさせる石橋、石垣、そして遊郭までありました。門司と長崎についで出来た遊郭は九州三大遊郭といわれ、総囲いの中に六軒の遊郭がったそうです。 江戸、明治、大正、昭和とその時々に狭い山間の金山として開発された「山ヶ野金山」は、他の地域とは違う独特の生活が営まれ、独自の文化が生きていたのでしょう。現在は金山の街であった過去を残し、閉山時のまま時間が止まっているようなそんな里でした。
撮影年月日 全て平成25年5月 山ヶ野金山 霧島市横川町上ノ お問合せ 霧島市観光課観光PRグループ 電話 0995-45-5111 ■交通アクセス/ロイヤルシティ霧島妙見台より約32㎞(車で約48分)
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白井 清仁
霧島は山・川・海が身近にあり、また温泉にも恵まれた自然豊かなところです。霧島はもちろん、鹿児島全体の魅力もお届けしていきます。
石垣 潤
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