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豊後武士 その壱 ★ 姓祖誕生の伝説
はじめに
豊後武士をご紹介するにあたり、過去のお話なので写真がほとんど有りません。
誠に申し訳ございませんが、イメージ画を挿入して、ご紹介させて頂きます。 |
決して手抜きではありませんので、予め、ご了承くださいませ。 チリメンm(_ _)m
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豊後武士
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■豊後武士とは、平安時代の中後期に豊後南部で活躍した武士37氏の総称です。 |
■これら37氏の武士は、すべて大神 惟基(おおが これもと)を姓祖としています。 |
■豊後武士の姓祖誕生には、神秘と熱愛の祖母岳(姥岳)伝説が残されています。
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※祖母岳は大分と宮崎の県境いにある神峰で、
初代:神武天皇の祖母:豊玉姫がお祀りされています。 |
※祖母岳伝説では、神峰に住む蛇神の子どもが、大神 惟基であると伝えています。 |
では、祖母岳伝説を方言版に変換して、勝手な考察と解釈も編集したうえで、
悪意の無いまま、ご紹介させて頂きます。 |
(ご紹介する伝説の方言版では、九州山口の方言を採用しております)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
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超大昔、豊後清川の大太夫館には、たいそう美しい姫がおったそうなぁ~。 |
姫は人気アイドルでしたが、姫パパは男衆を絶対に近づけさせません。
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ある夜、恋を夢見る姫がため息をついていると、一人の美青年が現れました。 |
その青年の姿は、立鳥帽子に狩衣姿という京風貴族の最新ファッションです。 |
こんな田舎では見られないいでたちは、絶対にお金持ちの高級貴族です。
しかもイケメン。
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毎夜現れる誠実な青年に、姫は心を許し、
いつしか方言で語り合う仲となったそうです。 |
しかし、楽しい会話でも青年は、青年自身については何も語らないのです。 |
そして、青年は夜明け前になると、必ず消えてしまいます。
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姫は青年に、ホールイン・ラブ~準:通い婚OK~即・出来ちゃいました。 |
青年はオメデタを喜んでくれるのですが、素性は頑なに語らないのです。
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姫が、「お義母様はご健在とね? 同居? 牛車は何台?」と、尋ねても、 |
青年は「何ち関ち聞きなんな。よだきぃ(面倒臭い)のう」と、はぶて(拗ね)ます。 |
姫が「領地ば、どがん位とっとうと(如何ほど取っていらっしゃるの)?」と聞いたら、 |
青年は「せちぃ~。山ば持っとう。そいに貢物がようけ集まっとくさ」と、取り合いません。
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更に姫が、「貢物ちゃあ何ん? そいで生活出来っとね?」と聞き返しますと、 |
青年は「じゃあ、じゃあ。じゃっとう、おいば頼りにすうし(人)が、ようけ持って来らすと」 |
「だけんがら、なんくるなる。ジンな(お前は)心配すんでにゃあ。」と、ガラ(怒)ります。 |
<考察1.=姫の気持ち:愛だけじゃ生活は出来ない。安定した暮らしがしたい・・・>
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お腹が大きくなり業を煮やした姫は、糸付きの針を青年の狩衣に隠れて縫いつけました。 |
<考察2.=糸を目印に、姫は青年の館を捜す算段のようです~恐いですね~>
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やはり青年は、夜が明ける前に居なくなりました。 |
姫が糸を頼りに捜索をすると、祖母岳の中腹まで来てしまいました。 |
そして糸は、大きな洞穴の中へ続いています。 |
しかも洞穴からは、何やら苦しむ声が聞こえてきます。
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『へげ~ん、ここに、おらすと?』姫は、
青年会いたさに恐怖に打ち勝ち、決心して洞穴へ入ります。
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すると、洞穴の奥から、
「誰いね? 来んな。入んな」と、制止する声が掛かります |
青年の声と確信した姫は、
「お慕いばして参いったですいね。 入っても良かろうもん」と、聞きました。 |
声は、「すとれ~(注:感嘆詞です)今ん姿ば見せとうなか。帰っちょくれ」と、
つっけんどんです。 |
姫は、「苦しか声ば出しよったけん、心配やわ。診ちゃっけん、入れちゃり」と、
気を揉みます。 |
声は、「夜しか人の姿になれんのえ~」
「会わんとは憎くじじゃにゃあ(意地悪ではありません)」と、言います。 |
尚も姫は、
「ばってん、どがん姿でん驚きまっしぇん。」
「むげねぇち(可哀想と)思うち~お願い」と、懇願しました。 |
<考察3.=姫の本心:妊娠責任の直談判をしたいので、このままでは帰れない>
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姫の涙の訴えに観念した声の主は、ついに姿を見せることを認めました。
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声は「奥は暗かけん、一寸摺り(少しづつ進む事)で入りえ~」と、優しく声をかけます。 |
<考察4.=男は女性の涙に弱い。
~か弱い女性も、いつしか逆転し強くなるんだけれども~>
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姫が目にしたのは、
あの良かにせどんの青年でなく、針が頭に刺さって苦しむ大蛇でした。
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大蛇は「ほ~ら、どぎゃんね~バリがっぱ(大がっくり)した?]
「早よ帰りんしゃい」と、なだめます。 |
しかし、
大蛇が青年であることを悟った姫は、大蛇の頭から針を抜いてあげました。 |
<考察5.=姫の本心:仕返しされないように、物証の針を隠滅しておこう> |
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針を抜いてくれたことに、大蛇の方がビックリして、 |
「ありがとう。 そいぎんた、ほんなこつば言うばい」
「ぞうたん(冗談)言わんけんな。 な~い。」 |
大蛇は打ち明けました |
「オイドンな祖母岳大明神のんた~」
「姫が美しゅうて好いとうたと~ごめん、ごめんね~」 |
更に、こう言いました。 |
「生まるっとは男ん子たい~そいが立派な武将になるっちゃん~」
「おっがっほ(俺が、さ)約束するせん」 |
「おい(俺)は、もう会えんとたい」
「姫が一人で育てんばならんと。頑張らんば。~ちばりよ~」
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元気に生まれた男の子は、
ワンパクでアカギレが絶えないので、アカギレ大将と呼ばれました。 |
祖母岳周辺をウロンコロンさるき(あっちこっち遊び歩き)周り、
やがて弓を取っては九州一の武将となります。 |
この武将こそが、
豊後武士37氏族の姓祖:大神 太大 惟基(おおが だいだ これもと)なのです。
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勇猛果敢な豊後武士は、蛇神を祖神とする末裔として、とても恐れられていました。 |
姓祖:惟基の誕生伝説は、平家物語の八巻や源平盛衰記にも採用されています。
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・・・・・・・姓祖誕生の祖母岳伝説・・・・・一旦、終わり・・・・・・・
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豊後武士の発展 |
■大神 惟基(おおが これもと)は実在すれば、
平安時代中ごろ11世紀初頭に誕生したと、推測されています。 |
■彼には五人の男子が生まれ、それぞれ別姓で、
高智保(高千穂)~のち三田井、阿南、稙田、大野、三重と名乗ります。 |
■そして孫らは、
佐伯、臼杵、野津原、戸次、緒方、大津留、寒田、加来、佐賀、光吉、など名乗ります。 |
■氏族の名前のほとんどは、
豊後南部の入部先(郡・郷・荘など)の地名などから採用されています。 |
■更に、本家から分家を繰り返した子孫らの氏族数は37氏に及び、
総じて豊後武士と呼ばれました。 |
■豊後武士は、馬術と弓術に長けた勇猛果敢な武士団で、水軍も持っていました。 |
■姓祖:惟基の五代あとには、
豊後武士の英雄:緒方 三郎 惟栄(これよし)が歴史上の大活躍をします。
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~豊後武士の祖神を祀る神社が在ると云うので、訪ねてみました(~0~)/ |
◇国道10号線を南下し、県道502号線に入ります。 |
豊後大野市役所を左手に過ぎても、まだまだ県道502号線を直進します。 |
◇神楽のモニュメントが目印~道の駅:きよかわ に到着~休憩! |
~ここ清川のどこかに、アイドル姫が居た太夫の館があったと推測されています~
(高千穂に劣らず、豊後地方はお神楽が盛んです)
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◇県道502号線沿いに在る緒方 惟栄の屋敷跡を通過して、竹田市に入ります。 |
◇国道57号線から、県道639号(神原~玉来)線に入ります。(目印は、サンリブ) |
~JRの線路を渡り、県道8号線を右折して、ひたすら直進。 |
~〒姥岳郵便局あたりで、県道693号に再度合流して~神原渓谷沿いを直進~
(神様の原の神原渓谷~清流の神原川) (神原渓谷に掛かる東九州道の架橋です)
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◇豊後武士の祖神を祀る、穴森神社の看板を左折する |
◇穴森神社の駐車場から、坂道を徒歩3分で登り、参道に到着。 |
~参道入り口の樹齢450年超の神木杉に来ると、奥に鳥居が見えます。
(~境内参道は、杉の大木がいっぱい~暗くて一人では、少し怖いですよ~)
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◇穴森神社の本堂です。
(参道にも電灯が引かれていますので、夜の参拝客がいるのでしょう)
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~本堂の裏手を下った右下に、
豊後武士の祖神の祖母岳大明神が、お住まいされている洞穴が在りました。
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