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全区画温泉付!別府湾を望む、海辺のスローライフ。別荘、定住どちらも楽しめます。
全国に、ゆるいキャラクターはたくさん有ります。 いわゆる、『ゆるキャラ』です。 大分では、特産カボスのカボタン ・ 県鳥メジロのメジロンなどが有名です。 メジロンは、平成20年第63回おおいた国体・おおいた大会で誕生しました。 スポーツのイメージキャラクターですが、体型が真ん丸く超メタボです。 いまだ絶大な人気を誇り、大分県の特使として現役続行が決定しました。 さて、今回は、 大分市の鶴崎商店街が誇る、ゆるキャラ『妙林ちゃん』こと、 妙林尼について、ご紹介したいと思います。 (妙林ちゃん人形の三体) 羽織はかま姿で、手にナギナタを持つ、勇ましいご勇姿。 白い頭巾に、リボンが付いて「かわいい」と評判です。 妙林尼のご紹介 ときは戦国時代の末期。 大友 宗麟が率いる大友軍は、 1578年の「日向・耳川の戦い」で、薩摩の島津軍に大敗を喫します。 この戦いで、大友家の家臣:吉岡 鎮興は、壮絶な戦死をしました。 息子の統増が吉岡家の家督を継ぎ、妻は出家して尼となり、妙林と名乗ります。 島津軍の侵攻 織田 信長の死により、彼が仲裁した和睦を薩摩の島津 義久は反故にします。 九州制覇を目論む義久は、関白:豊臣 秀吉の停戦仲裁にも応じません。 そして、ついに義久は2万5千騎を率いて、豊後国へ大侵攻してきました。 これに対して、秀吉は宗麟との約束どおり、九州討伐の第一陣を豊後に送ります。 しかし、この第一陣は武功を焦る余りに、戸次川の戦いで討伐に失敗しました。 勢いに乗る島津軍は分散して、豊後領内にある大友軍の各支城を攻め込みます。 このとき、島津軍の一隊は、支城のひとつ木付城(杵築城)にも攻撃しています。 そして、妙林が住まう鶴崎城にも、別の島津軍の一隊が近づいてきました。 鶴崎城 鶴崎城は、二つの川に挟まれた河口部の平坦な場所にありました。 城と言っても天守閣は無く、平家建ての砦に近い館城です。 しかも、 息子の統増や主な兵は、宗麟が籠もる丹生島城(臼杵城)へ援軍に出て不在です。 (鶴崎小学校の校庭にある、鶴崎城跡) 吉岡家の鶴崎城は、現在の鶴崎小学校と鶴崎高校辺りに有りました。 鶴崎の地は、昔から陸路・海路の交通要衝地で、政事・経済で栄えていました。 秀吉による大友氏の改易後は、加藤 清正が御茶屋(大名宿泊所)を設けたり、 江戸時代は熊本藩:細川氏の飛び領の支庁が置かれ、鶴崎は賑わいました。 鶴崎城の攻防 鶴崎城の留守を預かる妙林は、島津軍が攻めてくることを覚悟しました。 彼女は、鶴崎の民百姓を集め、野戦が得意な島津軍に対して籠城を決め込みます。 兵不足を補う為、彼女が取った奇策は、 城の周りに迷路や落とし穴をたくさん設け、死角の板塀から狙撃するものでした。 彼女は、百姓にも弓や鉄砲の撃ち方を教え、短時間で即席兵士に仕上げます。 これに対して、鶴崎城を攻めに来た島津軍の一隊は3000騎余り。 城を見た島津軍は、早期陥落が容易いと総攻撃を何度も繰り返します。 しかし、妙林の奇策が当たり、島津軍の被害は甚大です。 耐え切れず島津の部将は和睦を訴え、妙林も和睦を受け入れます。 和睦の条件は、城の明け渡しと引換えに、兵・民百姓の命を保証させるものでした。 お城で宴会? 妙林は約束どおり、島津軍に鶴崎城を明け渡します。 やがて、豊臣 秀吉率いる九州討伐の本軍20万が、九州に上陸してきました。 この知らせを受けて、鶴崎城を占拠した島津軍は撤収を準備します。 このとき妙林は、何と、敵味方の区別無く、慰労の酒宴を設けたのです。 実はこれ、妙林の策略だったのです。 妙林は、領主:宗麟や関白:秀吉の勝利を信じています。 酒宴を開いたのは、島津軍を油断させるものでした。 敵味方だった双方が互いの武勇を褒めあい、酒量も増えて盛り上がります。 そして妙林は、島津軍が撤収する予定の道筋を上手に聞きだします。 その道筋のなかで身が隠せる松林に、妙林は伏兵を待機させます。 宴たけなわでは有りますが、夜が明けて、二日酔いの島津軍は撤収を始めます。 島津の部将は妙林に、その女傑ぶりを称え、薩摩へ同行することを薦めます。 これに妙林は同意し、酒宴の片づけが終わり次第追いつくことを約束しました。 妙林の反撃 千鳥足のまま島津軍が、縦になって撤収する様子を確認した妙林は、 「今こそ、耳川の仇討ちじゃ」と号令を発します。 待機していた妙林の伏兵が、島津軍に鉄砲による集中攻撃を掛けました。 この戦で、島津の首級をたくさん討ち取り、丹生島城に居る宗麟に届けました。 強い意志で耐えしのぎ、機転が効いた妙林の勝利です。 この戦いを、乙津川(おとづかわ)の戦い、または寺司浜の戦いと言います。 耳川の戦いから8年後のことです。 (乙津川の古戦場碑) 乙津川に掛かる国道197号線の乙津橋の横にあります。 その昔、この辺りは寺司浜と呼ばれ、松林の在る美しい砂浜だったようです。 身近な妙林 大分市の鶴崎では「智恵と勇気のある女性」として、妙林はとても有名です。 大分県の女性全てが女傑なのかも知れません・・・ 一般論として、女性には油断しないように注意しましょう~ しかし、 劣勢で負け戦が濃厚なのに、兵は逃げず、民百姓さんらは集まりました。 きっと、 妙林尼の人徳が高く、彼女への忠誠や信頼が非常に厚かった、と思われます。 現在でも妙林は、鶴崎の守護神として、大切に扱われています。 そして鶴崎商店街連合会さんらによって、ゆるキャラ「妙林ちゃん」が誕生しました。 「商売繁盛」「家内安全」「交通安全」のご利益が有ります。 (ご利益が書かれた幟と一緒に写った妙林ちゃんの三体) 人形のサイズは、大・中・小が有り、鶴崎の街で、ご購入が出来ます。 大分県へお越しの節は、大分市の鶴崎商店街まで、是非足を伸ばしてみて下さい。 街の至るところで、妙林ちゃんと出会えます。 妙林ちゃんフラッグ 妙林ちゃん看板 鶴崎商店街に在るお店では、「妙林ちゃん人形」がお迎えしてくれます。 そしてお店で、妙林尼について、お尋ね下さい。 きっと、郷土愛が豊かで楽しく面白い話が、たくさん聞けると思います。 鶴崎町 鶴崎町には、宗麟の時代に出来た国無形文化財『つるさき踊り』が有ります。 伝統と人情を大切にする鶴崎の人々は、 乙津川の戦いの戦死者を合葬し、千人塚を建てて供養しています。 (千人塚) 戦死者を合葬した供養塚で、乙津橋近くの寺司公民館横に在ります。 のちの大供養祭で、寺司地蔵尊も建てられて、現在に至ります。 西浜墓地公園には、島津の部将らを弔ったお墓も在ります。 鶴崎の人々は、代々400年以上継続して供養をされていらっしゃいます。 今回の取材では、鶴崎町の皆様から多大なご協力を頂きました。 大変お世話になりました。ありがとうございます。 鶴崎町の歴史は、『鶴崎歴史散歩』を検索頂きますと、詳しくご紹介されています。 是非、鶴崎の街と歴史を、ご確認くださいませ。 文責:チリメン(間違っていたらゴメンナサイ)
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こばやし
岡山出身の美味しいものが大好きな食いしん坊です。よろしくお願いいたします。
サヨリ
杵築出身です。愛犬のあと毎日、城下町をお散歩しています。
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所在地:大分県杵築市大字熊野字梶浜857-70
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