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スタッフからの現地便り

大分の歴史★戦国時代の妙林尼

  • 更新日:2009年10月20日
  • カテゴリ:歴史

全国に、ゆるいキャラクターはたくさん有ります。
いわゆる、『ゆるキャラ』です。
大分では、特産カボスのカボタン ・ 県鳥メジロのメジロンなどが有名です。

メジロンは、平成20年第63回おおいた国体・おおいた大会で誕生しました。
スポーツのイメージキャラクターですが、体型が真ん丸く超メタボです。
いまだ絶大な人気を誇り、大分県の特使として現役続行が決定しました。

さて、今回は、
大分市の鶴崎商店街が誇る、ゆるキャラ『妙林ちゃん』こと、
妙林尼について、ご紹介したいと思います。
       
         (妙林ちゃん人形の三体)
         羽織はかま姿で、手にナギナタを持つ、勇ましいご勇姿。
         白い頭巾に、リボンが付いて「かわいい」と評判です。

 妙林尼のご紹介
ときは戦国時代の末期。
大友 宗麟が率いる大友軍は、
1578年の「日向・耳川の戦い」で、薩摩の島津軍に大敗を喫します。
この戦いで、大友家の家臣:吉岡 鎮興は、壮絶な戦死をしました。
息子の統増が吉岡家の家督を継ぎ、妻は出家して尼となり、妙林と名乗ります。

 島津軍の侵攻
織田 信長の死により、彼が仲裁した和睦を薩摩の島津 義久は反故にします。
九州制覇を目論む義久は、関白:豊臣 秀吉の停戦仲裁にも応じません。
そして、ついに義久は2万5千騎を率いて、豊後国へ大侵攻してきました。

これに対して、秀吉は宗麟との約束どおり、九州討伐の第一陣を豊後に送ります。
しかし、この第一陣は武功を焦る余りに、戸次川の戦いで討伐に失敗しました。

勢いに乗る島津軍は分散して、豊後領内にある大友軍の各支城を攻め込みます。
このとき、島津軍の一隊は、支城のひとつ木付城(杵築城)にも攻撃しています。
そして、妙林が住まう鶴崎城にも、別の島津軍の一隊が近づいてきました。

 鶴崎城
鶴崎城は、二つの川に挟まれた河口部の平坦な場所にありました。
城と言っても天守閣は無く、平家建ての砦に近い館城です。
しかも、
息子の統増や主な兵は、宗麟が籠もる丹生島城(臼杵城)へ援軍に出て不在です。
     
    
 (鶴崎小学校の校庭にある、鶴崎城跡)
      吉岡家の鶴崎城は、現在の鶴崎小学校と鶴崎高校辺りに有りました。
      鶴崎の地は、昔から陸路・海路の交通要衝地で、政事・経済で栄えていました。
 
     秀吉による大友氏の改易後は、加藤 清正が御茶屋(大名宿泊所)を設けたり、
      江戸時代は熊本藩:細川氏の飛び領の支庁が置かれ、鶴崎は賑わいました。

 鶴崎城の攻防
鶴崎城の留守を預かる妙林は、島津軍が攻めてくることを覚悟しました。
彼女は、鶴崎の民百姓を集め、野戦が得意な島津軍に対して籠城を決め込みます。
兵不足を補う為、彼女が取った奇策は、
城の周りに迷路や落とし穴をたくさん設け、死角の板塀から狙撃するものでした。
彼女は、百姓にも弓や鉄砲の撃ち方を教え、短時間で即席兵士に仕上げます。

これに対して、鶴崎城を攻めに来た島津軍の一隊は3000騎余り。
城を見た島津軍は、早期陥落が容易いと総攻撃を何度も繰り返します。
しかし、妙林の奇策が当たり、島津軍の被害は甚大です。
耐え切れず島津の部将は和睦を訴え、妙林も和睦を受け入れます。
和睦の条件は、城の明け渡しと引換えに、兵・民百姓の命を保証させるものでした。

 お城で宴会?
妙林は約束どおり、島津軍に鶴崎城を明け渡します。

やがて、豊臣 秀吉率いる九州討伐の本軍20万が、九州に上陸してきました。
この知らせを受けて、鶴崎城を占拠した島津軍は撤収を準備します。

このとき妙林は、何と、敵味方の区別無く、慰労の酒宴を設けたのです。
実はこれ、妙林の策略だったのです。

妙林は、領主:宗麟や関白:秀吉の勝利を信じています。
酒宴を開いたのは、島津軍を油断させるものでした。
敵味方だった双方が互いの武勇を褒めあい、酒量も増えて盛り上がります。
そして妙林は、島津軍が撤収する予定の道筋を上手に聞きだします。
その道筋のなかで身が隠せる松林に、妙林は伏兵を待機させます。

宴たけなわでは有りますが、夜が明けて、二日酔いの島津軍は撤収を始めます。
島津の部将は妙林に、その女傑ぶりを称え、薩摩へ同行することを薦めます。
これに妙林は同意し、酒宴の片づけが終わり次第追いつくことを約束しました。

 妙林の反撃
千鳥足のまま島津軍が、縦になって撤収する様子を確認した妙林は、
「今こそ、耳川の仇討ちじゃ」と号令を発します。
待機していた妙林の伏兵が、島津軍に鉄砲による集中攻撃を掛けました。
この戦で、島津の首級をたくさん討ち取り、丹生島城に居る宗麟に届けました。
強い意志で耐えしのぎ、機転が効いた妙林の勝利です。

この戦いを、乙津川(おとづかわ)の戦い、または寺司浜の戦いと言います。
耳川の戦いから8年後のことです。
    
    (乙津川の古戦場碑)
     乙津川に掛かる国道197号線の乙津橋の横にあります。
     その昔、この辺りは寺司浜と呼ばれ、松林の在る美しい砂浜だったようです。

 身近な妙林
大分市の鶴崎では「智恵と勇気のある女性」として、妙林はとても有名です。
大分県の女性全てが女傑なのかも知れません・・・
一般論として、女性には油断しないように注意しましょう~
しかし、
劣勢で負け戦が濃厚なのに、兵は逃げず、民百姓さんらは集まりました。
きっと、
妙林尼の人徳が高く、彼女への忠誠や信頼が非常に厚かった、と思われます。

現在でも妙林は、鶴崎の守護神として、大切に扱われています。
そして鶴崎商店街連合会さんらによって、ゆるキャラ「妙林ちゃん」が誕生しました。
「商売繁盛」「家内安全」「交通安全」のご利益が有ります。
        
   (ご利益が書かれた幟と一緒に写った妙林ちゃんの三体)
    人形のサイズは、大・中・小が有り、鶴崎の街で、ご購入が出来ます。


大分県へお越しの節は、大分市の鶴崎商店街まで、是非足を伸ばしてみて下さい。
街の至るところで、妙林ちゃんと出会えます。
     妙林ちゃんフラッグ

     妙林ちゃん看板

鶴崎商店街に在るお店では、「妙林ちゃん人形」がお迎えしてくれます。
そしてお店で、妙林尼について、お尋ね下さい。
きっと、郷土愛が豊かで楽しく面白い話が、たくさん聞けると思います。

 鶴崎町
鶴崎町には、宗麟の時代に出来た国無形文化財『つるさき踊り』が有ります。
伝統と人情を大切にする鶴崎の人々は、
乙津川の戦いの戦死者を合葬し、千人塚を建てて供養しています。
    
    (千人塚)
    戦死者を合葬した供養塚で、乙津橋近くの寺司公民館横に在ります。
    のちの大供養祭で、寺司地蔵尊も建てられて、現在に至ります。

    西浜墓地公園には、島津の部将らを弔ったお墓も在ります。
    鶴崎の人々は、代々400年以上継続して供養をされていらっしゃいます。

今回の取材では、鶴崎町の皆様から多大なご協力を頂きました。
大変お世話になりました。ありがとうございます。

鶴崎町の歴史は、『鶴崎歴史散歩』を検索頂きますと、詳しくご紹介されています。
是非、鶴崎の街と歴史を、ご確認くださいませ。

                        文責:チリメン(間違っていたらゴメンナサイ)

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