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スタッフからの現地便り

ノスタルジックな雰囲気が漂う 「郡中港」

  • 更新日:2010年02月05日
  • カテゴリ:周辺情報

かつては郡中港や郡中三町(灘町、湊町、三島町)を中心とした中継交易地として発展した伊予市
(分譲地より中心街まで約73km)。
市内には木村邸、宮内邸など旧家や豪商・豪農宅の町並が残っています。
切り妻造り平入り、漆喰塗り込めの虫籠窓を備えた家々の連なりに、かつての港町としての繁栄が偲ばれます。
 
その昔、米湊((こみなと))は米の積み出し港として栄えていましたが、風波が強く砂浜海岸であるため、そのままでは発展が望めませんでした。
また大洲藩の物資を積み出すためにも、港の整備が必要でした。



そこで江戸後期、大洲藩郡中代官所手代 岡文四郎が米湊安広川の河口に港を造ることを計画し、文化9年(1813)、藩庁に願い出て波戸御用係となり、23年の歳月をかけて天保6年(1835)に完成したのが「萬安港ばんあんこう)
 
その後、郡中港、さらに伊予港となり今日に至っています。

当時築造された“さざえ掘”や“灯台”は、今なおその面影をとどめています。
 
さざえ堀は、まるでさざえの形のような螺旋状に石を積み、砂をもりあげて作った井戸のこと。
井戸の水は港の海水の動きとともに上下し、これによって潮の満干を知ることができました。










長年、航路の安全を守ってきた旧灯台は、伊予市の有形文化財として指定されています。
まるで常夜灯のような形をした石造りの灯台は、はじめ菜種油で灯りを点し、のちに石油、電灯に変わり、昭和33年(1958)新灯台ができるまで、港の位置を照らし続けていました。
 
今は小柄な漁船が舷側をぶつけ合いそうなほどひしめいている港。
旅客船の出入りもなく大型貨物船の荷下ろしもない、昼間は静かに舫われている船が並ぶ様子は、まるで一枚の絵のような風景です。
 (写真はすべて平成21年12月撮影)
 

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