大山の麓に位置する米子市。
江戸時代初期から商業の町として栄え、
山陰地方のほぼ中央に位置することから、
商業や交通の要所となっています。
今回は米子市の下町エリアを散策してきました。
かつては五重の大天守閣と四重の小天守閣を誇り、
山陰屈指の名城だった米子城。
現在は石垣のみが残り、小高い山の上にある城跡からは、
市街地を一望でき、東側には大山、北側には日本海、
西側には中海と360度の大パノラマが広がります。
江戸時代に城下町として栄えた地域には、現在も古い町並みが残り、
当時の面影を感じることができます。
この界隈は米子城の築城に合わせて整備され、
江戸時代末期から明治時代には海運業で栄えました。
旧加茂川沿いに並ぶ白壁土蔵も、海運に関係した大問屋が
このあたりに多かった名残です。
白壁土蔵前からは「加茂川・中海遊覧船」が運行していて、
下町の古い町並みを眺めながら旧加茂川を下り、
中海へ出ると湊山公園や米子城跡を望む、
往復約50分の船の旅が楽しめます。
川沿いを歩くと重要文化財に指定される
「後藤家住宅」があります。
後藤家は江戸時代に海運業を営み、
藩の米や鉄を運ぶ特権を与えられた回船問屋でした。
明治初期には敷地に数多くの蔵や付属する建物がありましたが、
現在は主屋と一番蔵、二番蔵、味噌蔵を残すのみとなっています。
主家は平屋構造で一部二階建、土蔵造り、切妻屋根で、
屋根前面はこの地方の民家としてはただ1つの本瓦葺になっています。
路地に入り少し歩くと、レトロな看板がかけられた建物を発見。
こちらは明治元年創業の駄菓子屋さん「岡本一銭屋」。
看板は昭和25年に米子市で博覧会が開催された時に作られたものだそうで、屋号にもある「一銭」は、子どものお小遣いからつけられました。
お店の中には昔懐かしの駄菓子や玩具が所狭しと並べられ、
見ているだけでワクワクしてきます。
テレビや雑誌で紹介されたこともあるようで、
地元はもちろん、遠方から来るお客さんもいるようです。
今では、ほとんど見かけなくなった紙のめんこや
ソフトグライダーなども売られていて、
子どもはもちろん、大人の方も懐かしさに
思わず頬が緩んでしまうことでしょう。
駄菓子屋さんの近くには、通称「お寺銀座」と呼ばれ、
約400メートルにわたって9つのお寺がずらりと並ぶ通りがあります。
これだけのお寺が並んでいるのは全国的にも珍しく、
米子城が築城される際に伯耆の各地から集められたそうです。
9つのお寺の墓地には、米子の発展に尽くした
武士や町民が祭られていて、米子の文化や政治・経済を
考えるのに大切な通りとなっています。
お寺の数も多いのですが、近辺にはお地蔵さんも数多くあり、
町を静かに見守り続けています。
優しく微笑みかけてくれるような表情のお地蔵さんを巡ってみれば、
心癒される一時を過ごせます。
国道9号線に出ると一際目をひく建物は「山陰歴史館」。
昭和5年に米子市庁舎として建設され、
現在は米子城の資料などが展示してあり、
米子の歴史を知ることができます。
設計者は日比谷公会堂を設計した佐藤功一博士で、
赤レンガ色のモダンな洋館は市の有形文化財に指定されています。
山陰地方は車社会、ちょっとの距離に出かけるのにも
車を利用するという人が多いのですが、車を降りて路地を散策すると
新たな発見がたくさんあり、また1つ米子の街を好きになることが
できました。
皆さまも機会があれば米子の街を散策してみてください。
別荘地から約16.2km(山陰歴史館まで)
撮影日:2016/12/17
自然豊かな
『ロイヤルシティ大山リゾート』
詳しい資料をご希望の方はコチラから!!